
2年後の2028年には、商業施設に舵を切ってから40周年の節目を迎える。地元に暮らす人々にとって、金森赤レンガ倉庫はもはや一つの企業、一つの施設という枠を超え、函館山やその山頂からの夜景、街中を市電が走り、すぐそばに海があってかもめが宙を舞うといった「函館の風景」そのものだ。
あのとき、あのタイミングで渡邉恒三郎が英断を下さなかったとしたら、現在へと続く世界線は存在しなかっただろう。かつて函館の栄華を支えた倉庫という存在がその役目を失いかけたところ、めぐりめぐってたどり着いた幸福な着地点がここにあった。

金森倉庫が商業施設として生まれ変わる1988年から遡ること12年前。
なんと1976年の時点で、すでに函館西部地区の倉庫街に焦点を当てた再生計画をレポートでまとめ、現在当たり前のように存在する函館ウォーターフロントの風景を誰よりも早く、そして明確に思い描いていた人物が最高裁判所庁舎や警視庁本部庁舎などを手がけた建築家・岡田新一(株式会社岡田新一設計事務所 創業者)だ。
岡田は1970年代の時点でアメリカのボストンやサンフランシスコの港町の再生事業をじかに見て、その成功事例を函館という港町に重ね合わせていた。本編でも記したように、営業倉庫時代の金森倉庫周辺は夕方5時以降になると人も車も消えて殺風景な地区だったため、ここに人が集まる風景など誰も想像ができなかったが、岡田だけは違った。
そんな彼に白羽の矢が立ち、金森倉庫群の商業施設一帯のヒストリープラザ、BAYはこだて、函館山展望台の設計を担当。その後も函館シーポートプラザ、FMいるかビルの設計やイギリス領事館の再生などを手がけ、まさに現在まで続く「1988年以降の函館西部地区」の象徴を築き上げた立役者となった。

【金森赤レンガ倉庫(金森商船株式会社)】
北海道函館市末広町14-12
0138-23-0350
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peeps hakodate vol,149 「函館の倉庫、めぐりめぐる。Tales of Hakodate’s Warehouses」より
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