
「恒三郎さんがそのプランを提案したとき、同族経営で金森倉庫を守ってきた一部の株主からは激しく反対されたと聞いています。リニューアル案の中でも一番反発されたのが、ビヤホールの存在です。つまり『渡邉家が水商売に参入するとは何事か』という反発心。もちろん関係者全員を納得させるのは無理な話ですから、最終的には恒三郎さんが押し切った形でした。
『失敗したときは俺が全部責任を負う』とこの計画を通したと聞いてます。でもその業態転換の結果は、開業直後の凄まじい賑わいによって成功したことを証明しました。本当に最初から爆発的にお客さんが足を運んでくれて、そのほとんどが地元の方々でしたね。恒三郎さんはかねてから「地元の人たちが来る場所じゃなければ、観光客など来るわけがない」と言っていて、すべての施設が観光向けというより地元向けにつくられたものでした。
いまでは当たり前のように言われているウォーターフロント開発というのは、ここが国内で一番最初の事例。結構、横浜が最初だと思われている方が多いですが、違うんです。当時、TBSの『ニュース23』でも、キャスターの筑紫哲也さんが『全国で初めてウォーターフロント開発を実行して成功させた事例』として大々的に取り上げてくれました。これだけは改めて胸をはって言っていいかなって(笑)」
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