
函館の近現代史を紐解いたとき、その後のまちに巨大な影響を与える大きな節目となった1年がいくつか存在する。
函館が国際貿易港として本格的に開港した「1859年」。
未曾有の大火に見舞われ、その後の都市開発へとつながる「1934年」。
市と戸井町、恵山町、椴法華村、南茅部町が合併し、新「函館市」となった「2004年」。
そして最近では北海道新幹線が開業した「2016年」など。

これらに加えて、「1988(昭和63)年」もまた函館にとって重要な1年だったのは間違いない。
まさにこの年、青函トンネルが華々しく開業し、その裏で青函連絡船が廃止。市政始まって以来の大事業となる青函博が開催され、これを機に函館駅前地区や西部地区においてホテル建設や商業・観光施設の造り替え等が行われ、まちが大きく変わった1年となった。
その1988年に誕生・再誕した場所の中でも最も象徴的な存在が、商業施設として生まれ変わった金森倉庫群=金森赤レンガ倉庫だ。多くの観光客が往来する同所の風景が当たり前となったいま。
もはや思い返すのも難しくなってきたが、ここはもともと米、雑穀などの農産物や冷蔵設備が発達して以降は海産物を預かる「営業倉庫」として生まれた場所。
つまり倉庫業、水産業、海運業に携わる人間以外は用のない場所だった。それゆえに船からの荷受と搬入が終わる夕方以降は、まさに「人っ子ひとりいない」地区だったのは言うまでもない。

函館で最初に営業倉庫業を始めたのは、金森倉庫の創業者である初代渡邉熊四郎だ。1887(明治20)年、現在地となる旧共同運輸会社の倉庫建物、地所を買い取り倉庫業を始めた初代は、海運業隆盛の波に乗り3年ほどで商売を軌道に乗せ、倉庫の規模や貨物量で同業他社を圧倒した。
やがて時は流れ、昭和の終わり頃になると輸送形態の変化や北洋漁業縮小等の影響を受け、金森を含む西部地区全体の倉庫業はかつての勢いを失い、徐々に衰退。
この危機から脱却するため、当時の金森倉庫では大きな決断を迫られていた。
■ゆらぎも、ほつれも、ひずみも、魅力に変える。試行錯誤の末に辿り着いた、きわめて珍しい製法
■ひっそりと101年目を迎えて。函館市民におなじみ、醤油が染み込んだ「あのおにぎり」の会社の裏側
道南の記事一覧:【道南のお気に入りを見つけたい】
パートナーメディア