2026.10.09
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「北海道らしい酪農がしたい」
広い大地を駆け回り、自由に草を食む牛たちの姿を思い浮かべ、その理想を追い求めた中標津町の酪農家・山本照二さん。
前回の記事では、東京から移住して酪農を始めた当初の山本さんの大きな挫折についてお伝えしました。
牛たちが自然に近い「完全放牧」の状態で常に過ごすということは、マイナス20度にもなる北海道・中標津の厳しい冬を超えなければいけないということ。
その現実を受け止めながら、自分の理想の酪農の実現に向けて、山本さんは前を向きます。

酪農を始めて最初の冬、寒さへの対応がうまくできずに、4頭の牛をなくしてしまった山本さん。
もうやめようか…ということまで頭をよぎったといいます。
「自分の思いだけが先行していたな、牛のことを全然考えていなかったって、すごく猛反省しました。柔軟性にも欠けていた。そこからは、外で飼うにしても寝藁(ねわら)を敷いてあげたり、秋の時期に越冬できるように肉をつけさせるためエサを多く与えたりと、徹底的に牛の立場に立って工夫するようになりました」
意識するようになったのは「慎重になる」こと。
まずは、年間8キロあげていた配合飼料を、毎年1キロずつ減らして、8年かけてゼロにしていきました。

「最初の失敗の印象がすごく強く残っていたので、そこは慎重に進めましたね。牛もそうだし、人間の経済状況も変わっていくじゃないですか。『せーの』で一気に変えるのはあまりにもリスキーだから」
そもそも草食動物の牛に配合飼料、つまり穀物を与えるのは乳量を増やすため。
減らすと、明らかに牛乳がかわり、乳量が減っていきます。
「当初の3分の1程度まで減少しました。そうなると、量が減っても生活していけるようにしていかないといけない」
牛の数を増やしたり、ほぼ0円で買える2番牧草を使ってエサ代を節約したり…

「僕自身、せまい東京で毎朝満員電車に揺られて会社に行く生活を10何年もやっていたので、開放された環境の中で牛たちにものびのび生活してほしいという思いがあったんです。頭の中に描いていた『北海道らしい酪農』『自然に近いスタイルの放牧』という絵を、今度は時間をかけて形にしていきました」
そうして自然に近い環境で育てること。実際に実現していくとわかったことがありました。
「牛がすごくたくましくなっていくということなんです」
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