2026.05.27
食べる
帯広市民の生活に深く溶け込んだこの「ローカルフード」が、なぜ全国区になったのでしょうか?
そこには、将棋界の「勝負メシ」が深く関わっていました。
帯広市地域おこし協力隊の吉田萌葵さんは、「2010年の第21期竜王戦で、渡辺竜王(当時)が対局前日から当日にかけて豚丼を選んだ」と教えてくれました。
豚丼は、居飛車穴熊(いびしゃあなぐま)が代名詞の渡辺九段が「勝負メシ」に選んだことで全国にも知られるようになりました。
世代を越えて受け継がれる食文化として、文化庁は「100年フード」に認定。
そのルーツをたどると、さらなる驚きの真実が待っていました。

帯広百年記念館の大和田努学芸員は、明治のころ十勝地方を開拓した依田勉三率いる晩成社の3幹部の写真を見せながら、「1885年(明治18年)ごろから豚を飼い始めたという記録がある」と説明します。
彼らが、豚を持ち込んだことが養豚の始まりです。
当時、牛は牛乳、馬は農作業の動力で、貴重なタンパク源として食べられたのが豚でした。
大和田学芸員は「依田勉三が『開墾の初めは豚とひとつ鍋』という句を残している。『豚と同じようなものを食べながら、私たちもがんばる』というエピソードとして伝わっている」と話します。

豚肉は、過酷な開拓を支える貴重なスタミナ源だったのです。
では、いつ「豚丼」へと進化したのでしょうか?
調査は、ついに「始まりの一軒」にたどり着きました。
大和田学芸員によると「豚丼は今も続く『ぱんちょう』が発明したと語り継がれている」といいます。
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