2024.04.09

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「女性を助けるのは、女性」北海道の女性研究者たちが向き合ってきた「働くこと」の変遷…大事にしているある言葉とは

経歴が「異色」?

2024年1月の取材時の研究室で話してくださる石井智美先生(64)

臨床栄養管理学は、いわゆる管理栄養士になるための必修授業。

調理実習を多く行っていて、フライパンでご飯を炊いたり、魚を一匹下ろしたりしているそう。

ただ、元々の研究内容は主に「微生物」。

もちろん今も研究を続けています。

「栄養士」から研究の世界へ めずらしかった「社会人入学」

高校卒業後は、藤女子大学短期大学部の食物栄養科と国文科の2つの学部でそれぞれ学んでいたという石井先生。

そこから、研究者の道へ…というわけではなく、22歳から28歳までは栄養士として藤女子大学で助手の仕事をしていました。

その年代の女性なら結婚するのが当たり前の時代。

でも先生は、あるとき 地下鉄の広告で見つけた青年海外協力隊のポスターにどうしようもなく惹かれたのだといいます。

「当時は、バブルでイケイケドンドン。『明日はもっと面白そう』っていう時代でした。でも、ずっとこのままなのかな〜と。後悔するのは嫌でした」

「少し軽い気持ちで」青年海外協力隊に応募してみると、なんと合格。

驚きとともに、「困ったぞ」と思ったのだといいます。

休職制度なんて、今のように当たり前ではない時代です。

仕事は辞めなければいけません。

それでも突き動かされたのは「後悔したくない」という思い。

結局、仕事を辞めて中国に2年間、わたることにしました。

そこでも資格を生かし、北京にある日中友好病院で栄養士の仕事に没頭。

帰国したときに思ったのは「もっと勉強がしたい」という思いでした。

そして、栄養士として働きながら、その後教授として長く勤めることになる酪農学園大学に入学。

31歳のころでした。

「社会人学生」がまだめずらしかった時代の「走りだった」と振り返ります。

仲間にも恵まれ、順調なキャンパスライフ。

「発酵」によって食品に付加価値がつけられることに興味があったという石井先生。

ちょうどバイオテクノロジーがどんどんと発展していた時代だったこともあり、微生物の研究室に所属して、研究者の道を歩み始めました。

「研究自体はすごく大変で」と言うように、始発で大学に行って、終電で帰る生活。

「でも、楽しかったです。そこの研究室で博士課程を出て、研究者になりました」

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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