中さんの挑戦は、日の出から日没まで、毎日50キロほどを走る過酷なもの。
そのため…
なんとか日没に間に合わせようと頑張りましたが、キレイな夕陽を見ることはできずに初日は終了しました。
そして2日目…
中さんは「痛い。もう痛いです体が」と訴えました。
障害を負ったのは、今から14年前。
赤信号で車を停車していたところ、後ろからほかの車が衝突。
その事故が原因で、左半身に”まひ”が残る体になりました。
そのため、今も毎日、鎮痛剤などの薬を飲みながらの挑戦なのです。
サポーターのひとり、長男の中港(なか・みなと)さんはそんな母親の姿に力をもらっているといいます。
「自分もまだまだ違うことに挑戦できるんじゃないかとか、他の人も、もっと色々なことに挑戦できるのではないかと思わされる」
この日の大分県は雨。
少ない予算と限られた日程での挑戦なので、雨が降ったからと言って休むわけにはいきません。
中さんは「今の年齢が、これから先で一番若い。だから今、一番若いからチャレンジできる」と奮い立たせます。
出発から7日目、230kmを走り宮崎県へ到達。
宮崎県と言えば、サンメッセのモアイ像や、鶏の炭火焼きなどが有名。
この日も30℃を超える暑さ…。もうやめたいとは思わないのでしょうか?
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