2023.11.13
深める星槎道都大学の、滝田一希投手・21歳。
全国のプロスカウトが熱視線を送る、道内ナンバーワンピッチャーです。
最速153キロのストレートに、切れ味抜群のチェンジアップ。
好きな言葉は、「ファイターズの松本剛さんが使ってる言葉で『名もない雑草にも陽は当たる』。頑張っていれば、いつかスポットライトが当たるよって意味」と話します。
その言葉は、まさに「彼の人生」そのもの。
札幌と函館の中間に位置する黒松内町。
自然豊かな町で生まれ育った滝田投手、兄弟は6人。5番目の3男です。
母・美智子さんがひとりで育て上げました。
滝田投手は、「6歳のときに両親が離婚して、母は仕事をかけもちしていて、ほぼ毎日朝5時~深夜1時まで働いていた。そういう背中をみていたのにもかかわらず、やんちゃ坊主だった」と振り返ります。
母・美智子さんの10年以上の同僚・三本木美智恵さんは、「しんどそうだなと思うけど、本人からはつらいという話は聞かず、お子さんたちを一人前にというのと、お子さんたちスポーツが得意だったので野球を頑張っていけるようにと育てていた」と話します。
2人の兄の背中を追い、小学3年生から野球を始めたものの…
小学生時代の監督・鈴木直樹さんは、「小さくて痩せてて、ひょろひょろで。ダメだって言ってるのに壁にボールをぶつけたりとか、ダメってことばかりやる。でも野球やってるときは、言うこと聞くもんね」と振り返ります。
高校は、自宅からおよそ30分の寿都高校へ。
滝田投手は、「母の母校でもあったので、いい姿をみせられたらいいなと思っていた」と話します。
部員はわずか10人ほど。
高校3年間で全道への出場は叶いませんでしたが、投打に奮闘するキャプテンに舞い込んだのは、強豪大学からの誘いでした。
星槎道都大学の二宮至監督は、「ピッチャーで、1番バッターで、左投げで背が高い。ひょっとしたら化けるかもしれない」と感じたといいます。
高校卒業後は就職を考えていたという滝田投手。
母・美智子さんも、息子の奔放な性格を案じ、当初は地元を離れることに反対していたといいます。
滝田投手は、「最初は自分がダメだったので、母はダメって言ってたんですけど、『途中でやめないで最後まで卒業までやるならいいよ』と伝えてもらった」と振り返ります。
18歳で地元を飛び出した滝田投手。
100人を越える部員たちと切磋琢磨しながら、土台となる体作りから始めました。
リーグ戦の開幕投手を掴んだ3年生の春。
ここから、母へ活躍する姿を見せるはずでした。
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