2026.08.21

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新千歳空港の「新」ってなに?始まりは住民が「2日で手作り」した空への熱い思い

住民が「2日間で手作り」!?

提供:千歳市

千歳市企画部の中村充主幹は「飛行機を見たいという村民の願いがあり、自分たちで着陸場を作った。そこが一番最初」と明かします。

誕生のきっかけは、住民の素朴な願いでした。

今から100年前の1926(大正15)年、千歳村に北海道鉄道の駅が建設され、新聞社が旅行会を計画しました。

村民が心のこもった手料理を作ってくれたので、お礼として「上空から新聞宣伝のビラを撒く」と提案されます。

提供:千歳市 北海第1号機

これを聞いた村民が「上空だけでなく、近くで着陸した姿を見たい」と熱望したことがすべての発端です。
しかし当時の千歳村には、飛行場はありませんでした。

そこで村民たちが取った行動は「手作業」!大人や子どもも含めて、約150人がなんと2日間で手作業で着陸場を作ったというのです。

終戦間近に訪れた、存亡の危機

©U.S. navy

その後、千歳飛行場は拡張工事が行われ、海軍の基地になりました。
そして、終戦間近に存亡の危機が訪れます。

1945年7月14日と15日の北海道空襲。
全道が標的となる中、千歳飛行場は奇跡的に爆撃を免れたのです。

地方史研究者の山本竜也さんは「千歳の場合、雲に穴がないくらい曇っていたので空襲を受けなかった。つまり、艦載機という米軍の飛行機が雲の下に降りてこれなかったので、千歳を見つけることができなかった」と解説します。

イメージ

もし戦火に巻き込まれていたら、今の新千歳空港はなかったかもしれません。

千歳市企画部の中村主幹は「今の若い人たちや子供たちには、千歳の空港が、この町の宝であると思ってもらいたい」と思いを語ります。

2026年のことし、千歳の空の歴史は100年の節目を迎えます。
それは激動の時代を駆け抜け、空への夢をつなぎ続けてきた証なのです。

HBC報道部

毎日の取材で「気になるニュース」や「見過ごせない事案」を、記者が自分の目線で深掘り取材し、「ニュース特集」や「ドキュメンタリー」を作っています。また、今日ドキッ!の人気コーナー「もうひとホリ」「もんすけ調査隊」も制作しています。最近は放送にとどまらず、デジタル記事、ドキュメンタリー映画、書籍など、多くのメディアで展開して、できるだけたくさんの人に見てもらえるよう心掛けています。北海道で最初に誕生した民間放送の報道部です。

https://www.hbc.co.jp/news/

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