
WEBマガジン「Sitakke」のパートナーメディアで、小樽観光協会が運営する「小樽通(おたるつう)」より、選りすぐりの情報をお届けします。
***
小樽の通りを巡るこちらのコーナー。今回のテーマは『公園通り』。
水天宮から小樽公園に向かってのびる通りで、普段からよく歩く馴染み深い通りでもある。
馴染み深いとは言ったものの、その歴史についてはまったく知らない。
なので今回も小樽市総合博物館にお話を聞いてきました。
明治20年頃。
既に、後に公園通りとなる道自体はあったものの、まだ整備はされておらずその大部分が山だった。
そもそもの名前の基となっている小樽公園もまだ整備されていなかった。
小樽公園は明治14年に開拓使によって公園地に指定されたものの、当時の日本には「都市公園」の概念がまだなく、公園として形になるのはもっと後のことだ。
明治30年頃から公園通り周辺の市街地化が始まる。近くには花園小学校もでき、小樽公園の整備も進んだ。
通りが「公園通り」と呼ばれ始めたのもこの時期からだ。
明治37年には「稲穂の大火」があり、稲穂にあった2000軒以上の建物が焼けた。
すると、再建を機に多くの店が花園に移り、公園通りの周辺にも建物が一層多くなったのだそう。
大正から昭和にかけての公園通りは歓楽街として賑わい、百貨店や映画館、ビアホールもあったのだとか。
こちらは大正初期の公園通りの様子。建物が多く正面には水天宮が見える。

そして昭和10年頃の公園通りの様子。
こっちは反対に、水天宮を背に小樽公園側を向いた写真だ。
建物の形は違うものの、並び方には現在の通りの面影が見えてきた気もする。

パートナーメディア