2024.05.12

育む

「いのちがないているよ」5歳が初めて向き合った“死”…「こわい」と棺を見られなかったこうちゃんが、曽祖母にお手紙を書いた日【室谷香菜子のいっくじ日記#3】

「5月にまた帰るよ」桜を待たずに旅立ち…

当時3歳の私と祖母

青森空港に着いてから、葬儀などの打ち合わせのため、まっすぐ斎場へ向かいました。

ソワソワしていたのは息子だけではありません。

実は、私が一番ソワソワし、息子に涙を見せまいと必死にこらえていました。

昭和4年生まれの祖母。

祖母とは22歳まで青森の実家で一緒に暮らしました。

3年前に心臓の大きな病気を患うまでは毎日のように外をたくさん歩き、肉も魚もたくさん食べる、「パワフルばあちゃん」でした。

私の就職が決まり、青森を離れると決まって一番悲しんだのは祖母。

「なして青森で就職しねがったんだべ(どうして青森で就職しなかったのかな)」と、私の母によく言っていたそうです。

最後に実家で祖母と会話をしたのは今年のお正月。

私は、「5月のゴールデンウィーク、帰れたらこうちゃんと帰ってくるからね~!」と声をかけました。

その言葉に「5月か…それまで来られねが」と、弱く小さい声で寂しそうにつぶやいていた祖母。

そして、桜の季節を待たず、この世を去ってしまいました。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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