札幌でピラティスの教室を開いている、米田幸代(まいた・さちよ)さん。
生まれてすぐに里親に預けられ、小学4年生から実母と暮らし始めたものの、「自分の人生が母親に食べられる」と感じるほどの、憧れとはかけ離れた日々でした。
米田さんが笑顔で話すようになるまでの日々とは…。
入社3年目の宮下彩(みやした・あや)記者がお伝えします。
⇒【「人生が母親に食べられる」親子関係に苦しんだ女性が、14歳で自ら下した「決断」】
実母との関係を絶つため北海道を離れ、名古屋市の看護師を目指す専門学校に進学した米田幸代さん。
しかし実母から、電話で金の無心をされます。
「最初は、2万円、3万円。母は返すと言うものの返してくれたことは1度もなく、途中からはあげるつもりでお金を渡していた」
ある日、実母から「まとまったお金がほしい」と連絡が来ます。
「学費のために貯めていた30万円を貸してと言われ、絶対に返してねと言って渡しましたが、母は返してはくれませんでした」
昼も夜も必死でアルバイトするも、学費の残り10万円が足りません。学費を払えなければ進級が厳しくなります。
頼る人がいなくなった米田さんは、意を決して里親に電話をします。
米田さん「絶対に返すので、学費のための10万円を貸してください」
里親「幸代、返さなくていい。自分のために使いなさい」
里親はそう言って、すぐに10万円を工面してくれました。
「里親さんのところを離れたのは、自分が親を選んで離れたっていう負い目を感じていたのと、里親さんに迷惑をかけたくないのがあった。でも、10万円を工面してくれたときに、私は里親さんに愛されていたんだと改めて感じた」
この電話をきっかけに、里親と頻繁に連絡をとるよう心掛けたといいます。
「里親さんもそんなに若くはないし、今からでも改めて感謝を伝えたい」、そんな思いからでした。
その後、名古屋で看護師になり、20年働きました。
「ずっと母にダメ出しをされてきたけど、人の役に立てているんだと自分自身が患者さんたちに癒されていきました。看護師の仕事を通して私が癒されて、優しさも感じることができてよかったです」
37歳のとき、里親のお父さんが亡くなりました。
その葬儀で、里親の実の孫である容平(ようへい)さんと30年ぶりに再会。
里親のお父さんが結び付けてくれたのでしょうか。米田さんと容平さんは、夫婦になりました。
「里親さんと一緒に暮らしていたとき、兄弟のように思っていたから最初、好きだと言われたときは本当に驚いた」という米田さん。
容平さんは、「僕とさっちゃんだけ、30年会ってなかった。再会したときに、勝手に運命的なものを感じた。結婚して、今こうしていられるのはおじいちゃんのおかげだなと思っている」と優しく応じます。
米田さんは、当時容平さんが働いていた札幌に移住。
米田さんがたどり着いた、温かな居場所です。
私が取材を始めたとき、米田さんは里子経験者として、里親などに向けた講演活動を始めたばかりでした。里親との出会いや存在についてこう話します。
「里親さんがいなければ、今の自分 私はないと思っている。育ててくれて、出会ってくれて、本当に心から私のことを思ってくれてありがとうございます。それを私が、今度はお返ししていくから、見ていてほしいって、応援してほしいって伝えたい。里親さんが愛情をもって育ててくれたから、親子関係が異常だと気づき、身を守ることもできたし、もし最初から母親に育てられていたら、それが問題だとは気づけなかったかもしれない」
里親と過ごした日々は、その後の人生を生きる支えにもなっているといいます。
「里親さんが愛情を持って育ててくださったからこそ、つらいことがあっても、がんばろうと思えた」
米田さんは同じような境遇の子どもたちに、こう声をかけたいと話します。
「まず、悲しいよね、苦しいよね。わかるよ。でも、それを乗り越えた先には、乗り越えた人しか与えられないギフトがある。今は、そういう時期だから、それを乗り越えたら、もっともっと大きな幸せがあるから、大丈夫って言ってあげたい」
「私は決して自分が主人公になりたいんじゃなくて、自分の体験を話すことで、誰かを勇気づけることや、そのきっかけづくりにしたい」
取材した私自身も、米田さんの言葉から勇気や元気をもらった1人です。当時、私も職場や仕事での人間関係などに悩み、心身ともに苦しい思いをしていました。
私は米田さんに、感謝を伝えました。
「米田さんに出会って、仕事への考えや人との関わりの考えが変わりました。仕事で失敗したら、すぐに自分を責め、落ち込む自分や弱い自分が嫌いでした。やらなきゃいけない仕事をおろそかにしているように見える同僚も許すことができませんでした。でも、米田さんが『自分を大切にできない人は、他人も大切にできない。そして、自分の正義感を他人に押し付けてはいけない』と言ってくれたことで、自分の考えを変えなきゃいけないと思うようになりました。今、私がこうして前を向けるのは、米田さんのおかげです」
米田さんは、「講演活動を始めて、そう言ってくれたのは、宮下さんが初めてです。自分の活動や思いが実際に届いた人がいてよかったです」と話してくれました。
米田さんからそう言われたとき、自然と涙があふれ出ました。そんな私に米田さんは優しく手を握り、「大丈夫」、そう何度も言ってくれました。
「自分を苦しめるのは人だけど、助けてくれるのも人だから、人と関わりたくないって思っても、結局関わるんだよね」
厚生労働省によると、2021年度の全国に225ある児童相談所での「児童虐待相談対応件数」は20万7660件と過去最多 。そのうち心理的虐待が約60%と最も多く、次に多い身体的虐待が約25%、ネグレクトが約15%、性的虐待が約1%です。
これは児童相談所が「児童虐待相談として対応した件数」であり、いま助けを必要としている子ども、すべての数ではありません。
米田さんが里親と過ごしたのは、小学4年生までの10年間だけ。
それでも、今も続く里親への想いを聞いて、私は「人のつながり」の力を感じました。
「助けて」と言いたいのに言えない子どもたちが、あたたかな「人のつながり」を得られるように。
自分の生い立ちや家庭環境などに悩んでいる子どもたちが、自分で自分のことを認めて、自己犠牲がないように、尊い自分をもってほしいと感じました。
文:HBC報道部・宮下彩
2020年5月に報道部に配属。記者歴3年目。警察・司法担当。学生取材に関心があり、これまで学生を主人公にした戦後企画や、警察担当として薄野交番の密着取材などの特集をしてきました。悩みは取材相手に感情移入し過ぎてしまうこと。月に映画を3本ほど見てリフレッシュ。
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