大正12(1924)年のこと。
岩手県立花巻農学校の教諭をしていた宮沢賢治は、北海道を経由して、樺太(サハリン)に向かいます。
表向きは、生徒の就職依頼でしたが、実際には前の年に亡くなった、最愛の妹・トシの幻影を求めての旅でした。
未明の函館駅で青函連絡船から、列車に乗り換えた賢治。
しばらくすると、夜明け間近の青い大地に、美しい山が現れました。
道南のランドマーク、駒ヶ岳(標高:1,131m)です。
賢治の詩集「春と修羅」の、噴火湾(ノクターン)という作品で、駒ヶ岳はこのように綴られています。
『駒ケ岳駒ケ岳
暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
そのまつくらな雲のなかに
とし子がかくされてゐるかもしれない』
この時の列車の旅が、後の「銀河鉄道の夜」の創作に、大きな影響を与えたと言われています。
2022年9月29日 「北海道ドローン紀行」 にて放送
撮 影:田島 琢 さん(札幌市 在住)