
函館市文化財課の野村祐一主査は、「明治2(1869)年、箱館に開拓使の出張所が置かれた。そのときに、竹かんむりの『箱』から、今の函館の『函』という字を使え、と」と解説します。
開拓使は、明治新政府が北海道開拓のために置いた役所です。
その開拓使にまつわる記録の中に、たった一行、こう記されていました。
『箱館ヲ函館ト改ム』

ただ、なぜ改めたのか、詳しい理由はどこにも記されていません。
しかし、この一文が記された明治2年は、大きく歴史が動いた年でもありました。
野村主査は「函館は、戊辰戦争の最後の戦いの地で箱館戦争が終結した場所」と指摘します。
明治2年、1869年5月18日。
旧幕府軍が最後まで立てこもった星形の城「五稜郭」は、新政府軍に明け渡されました。
戊辰戦争の戦いが終わり、新たな時代が動き出した瞬間でした。

野村主査は「天皇に歯向かった旧幕府が最後に抵抗した場所。前の時代が終わることを象徴する形として、読み方は変えず、漢字を改めることで、新しい時代に進んでいこうという思いを込めて変えたと、私は考えています」と話します。
読みは残し、文字だけを改める。そこには、それまでの時代との決別が込められていたのではないかと考えられています。
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