
北海道屈指の港町「函館」。
実は昔、国によって地名が変えられた歴史があるのをご存じでしょうか?かつて使われていた竹かんむりの「箱」から「函」へ。一文字の変更に秘められた、激動の歴史と決意の謎に迫ります。
みなさんが抱えている「なぜ?」「どうして?」を調査する、HBC「もんすけ調査隊」。
「函館は昔、国に名前を変えられたと聞きました。詳しく調べてください」という依頼を受け、調査員は函館へ向かいました。
函館市民に「函館の名前が昔、変わったと聞いたことは?」とたずねると…
「函館の『函』の漢字が違うみたいな」
「なぜかまでは、わからない」
函館の「函」には、もともとは別の文字が使われてきました。
その痕跡は、マチのシンボルに今も残されています。
江戸幕府が築いた星形の城「五稜郭」の中心に建つ「箱館奉行所」。
今とは違う、竹かんむりの「箱」が使われています。
箱館奉行所の坂本美奈子館長に理由をたずねると、「役所で仕事をしていたのが『箱館奉行』。その役職名が竹かんむりの箱だった」と話します。
この竹かんむりの「箱」が、幕末の正式な表記でした。
2010年に復元された奉行所にも、その文字が受け継がれています。
では、そもそもなぜこの文字だったのでしょうか。
坂本館長は「室町時代に河野政通という豪族がいて、その人が住んでいた場所が箱型の建物だった」と教えてくれました。

函館山から港へ下る基坂(もといざか)の途中にある案内板が、マチの始まりを伝えています。
時は室町時代、1454年ごろ。
津軽から渡ってきた河野政通らが、函館山の麓に「館(やかた)」を築きました。

土壁に囲まれた館の姿は、沖の船から見ると、まるで「箱」。
そんな「箱のような館」から、「箱館」と呼ばれるようになったといいます。
では、いつ「函」の文字に置き換えられたのでしょうか。
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