2026.10.09
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山本さんは東京生まれ。新宿で12年間、流通業界(コープ)の会社員として働いていました。
北海道にやってきたのは36歳のとき。脱サラしての一念発起でした。
きっかけは大学時代、旭川に住んでいたことにありました。
「よくバイクで北海道中をぐるぐる回っていました。駅舎で寝たりするような、いわゆる『ミツバチ族』でした(笑)。そのころの思い出がすごく鮮烈に残っていて、『いつかここで過ごしたいな』っていう思いがずっとあったんです」

東京で働いている間も子どもたちを連れて北海道を度々訪れていたといいます。
家族も北海道に住むことを「いいんじゃない?」と受け入れてくれていました。
北海道の中でも、道東の中標津町を選んだのにも学生時代の「鮮烈な思い出」があるからでした。
「特に中標津にある『開陽台』は、ライダーにとっては『聖地』。情報交換しながら、みんなで酒を飲んでわいわいガヤガヤやった思い出があって…『住むなら絶対に中標津だ!』って決めていたんです」

中標津に住む、そして仕事をする。そうなると、自ずと道は酪農に決まっていきました。
サラリーマンだった山本さんにはもちろん縁がなかった仕事…でも実はきっかけはそのころからつながっていました。
「流通の仕事ってモノを『右から左へ』流す仕事なんです。工場に行ったり問屋に行ったり、デザインをする現場を見たりもします。すると『作り手って楽しそうだな』『話をするのも楽しいけど、モノを作る仕事っていいな』って思うようになって。源流、つまり『川上』の仕事をしたい、作り手になりたいという思いが強くなっていったんです」
別海町で3年間研修を受けて、新規就農へと踏み出しました。
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