その宮司を務める益 幸代さんのアイデアによって生まれたのがこの駄菓子屋だ。きっかけは、あるとき益さんが東京に行ったときのこと。食事をするのに店に入ると、子ども連れの家族が近くにいた。しかしそこに会話はまったくなく、個々がスマートフォンをいじりながら時間だけが過ぎていくという光景を目の当たりにした。「こんなことでいいんだろうか」そのとき胸に去来した家族のあり方に対する疑問や危機感が芽となり、やがて家族で会話しながら楽しめる場所をつくりたいと考え、駄菓子屋にたどり着いた。
「駄菓子屋って子どもたちが主役になれる場所じゃないですか。スーパーに行けば駄菓子自体はたくさん売ってますけど、買いたいものをお母さんが持ったカゴに入れますよね。でもここでは自分でカゴを持って、自分のほしいものを自分の手で入れられる。親御さんも駄菓子を見れば懐かしさがこみ上げてきて、そこに会話が生まれる。それが嬉しくてやっているようなもので、ご想像の通り利益はあまり出ません(笑)」
益さん自身も何坪あるかわからないという広い店内。取材中、試しに端から端まで歩いてみると50歩以上を要した。品数の多さも圧巻で、これまで扱った品は2200種以上に及ぶ。現在も東京や大阪・名古屋など8つの問屋と取引して商品を仕入れている。
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