2024.02.05
出かけるルートヴィヒ2世は3つの城を同時に造営し、莫大な資金を投下しました。それも国費ではなく私費(王室費など)を使ってです。そして絢爛豪華な内装の工事が進むと資金が足りなくなり、未払金が増えてついに1884年に銀行で借金をすることになりました。その額なんと700万マルク(現代の価値で約200億円)。
しかし内装工事の再開にもかかわらずヘレンキームゼー城の完成は程遠く、1年後さらに約650万マルクの未払金を発生させてしまいました。これ以上銀行で借金することもできず、ルートヴィヒ2世は財務問題の解決を大臣たちに依頼します。しかし首相は「国庫からの前払いは、法的権限付与のない簡単なやり方ではもちろん考えられません」とにべもなく返答しました。国王個人の負債を国費で補填するという時代錯誤の方法は、近代立憲君主制の時代には考えられなかったのです。
巨額の未払金の問題に頭を悩ませたルートヴィヒ2世は「これではリンダーホーフ城やヘレンキームゼー城などの余の所有物が裁判所に差し押さえられてしまう!これが阻止できないのであれば、余はすぐに自殺するか、ひどいことが起こっているこの呪われた国から即刻退去することになるだろう」と侍従武官に弱音を漏らしています。
結局この財務問題は解決せず、王とバイエルン内閣の対立は深まり、1886年6月12日、ついにルートヴィヒ2世は政府によって逮捕され、ベルク城に幽閉された後、湖に自ら身を投げたのでした。
なぜルートヴィヒ2世は財務の行き詰まりや大臣たちの諫言にもかかわらず築城を止められなかったのでしょうか。筆者はルートヴィヒ2世は一種の依存症だったと考えます。
ルートヴィヒ2世自身にその傾向があったアルコール依存症は、飲めば飲むほど飲まずにはいられなくなっていきますが、同様に王は城を建てれば建てるほどさらに城を建てずにはいられなくなっていたのです。そうしなければ、国王の権力が失われた「呪われた国」の「疲れた生活」の中で、満たされない願望を抱えながら「一息つく」ことさえできない、と思い込んでいたのでしょう。
ルートヴィヒ2世はおよそ模範とは言えない国王だったかもしれませんが、彼の残した3つの城が今日観光客に大人気であることを考えると、仕事や生活に疲れた現代人が共感できるファンタジーを城という形で具現化した、と言えるのではないでしょうか。
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文:ドイツ観光局広報マネージャー・大畑悟
編集:Sitakke編集部・ナベ子
主要参考文献
マルタ・シャート、西川賢一訳『美と狂気の王ルートヴィヒⅡ世』講談社、2001年
Michael Petzet, Gebaute Träume: Die Schlösser Ludwigs II. von Bayern, Hirmer Verlag, München, 1995