2024.01.15

出かける

『ゴールデンカムイ』で鯉登少尉が食べた“月寒あんぱん”って、時代設定あってるの?担当者さんに話を聞いてみた【前編】

明治末期の北海道を舞台に、一癖も二癖もある魅力的なキャラクター達が、莫大なアイヌの埋蔵金を巡り、繰り広げる壮大な物語。
北海道出身の漫画家・野田サトル先生による大人気コミックを原作にした、実写映画『ゴールデンカムイ』が2024 年 1 月 19 日(金)から公開されます。私たちHBC北海道放送も映画制作に協力しましたッ!

これを記念し、HBCが運営する「Sitakke」では、原作やアニメの『ゴールデンカムイ』に関連したスポットやグルメ情報について特集!今回は、原作とアニメの両方に出てくる、とある食べ物について注目しました。

今回注目したのは...

こんにちは、『ゴールデンカムイ』のことが大好きな編集部ナベ子です。

前回の 「北海道開拓の村」編に引き続き、お面越しに失礼します。

突然ですが、私が食べているものはなんでしょうか。

お面は、2023年7~9月に開催されていた「ゴールデンカムイ展(函館)」で無料配布されていた「鯉登少尉」モデルのもの。

正解は……そう、「月寒あんぱん」です!北海道で長年愛され続けている、素朴なおいしさが魅力のお菓子です。道民にはなじみ深いですよね。

月寒あんぱん(こしあん)

ところで、私は『ゴールデンカムイ』の中でも、“推し”が三人います。最推しは、第七師団の「月島軍曹」です。 小さくて屈強な肉体に、みっちりと愛憎の念が詰まっている感じが…たまりませんよね。

続いて、月島軍曹に想いを馳せるうえで、欠かせない人物がいますよね。そう、彼の上司にあたる 「鯉登少尉」と「鶴見中尉」 です。さらにこの二人を語るうえで、欠かせないアイテムといえば....そう、「月寒あんぱん」 なのです。

“最推し”を支える“推し二人”にとっての重要なアイテムでもある「月寒あんぱん」のことをもっと知るべく、今回は「月寒あんぱん」について取材をすることにしました。

「月寒あんぱん」の工場に行ってきた!

というわけで、恵庭にある「月寒あんぱん本舗ほんま」の工場に来てみました。鯉登少尉(私物のフィギュア@野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会)もお連れしました。

今回、どうしても確かめてみたいことがあった

事前に「月寒あんぱん」の公式HPを見て、どうしても確かめたいことがあったんです。

それは…『ゴールデンカムイ』で描かれた歴史と、月寒あんぱんの歴史に”時代考証のズレ”があるんじゃないか!? という仮説です。

作中の中で、月寒あんぱんが出てくるのは合計3回。
時系列順でいうと、1回目は、当時14歳の鯉登少尉が、北海道から鹿児島にやってきた、若き日の鶴見中尉に月寒あんぱんをもらい、日清戦争で戦死した兄の墓の前で一緒に食べるシーン。

2回目は、鹿児島から函館に引っ越してきた、子ども時代の鯉登少尉が、”謎のロシア人”に拉致され、月寒あんぱんを食べさせられるシーン。3回目は…ネタバレ防止のために伏せますが、物語の後半、とある緊迫したシーンで出てきます。

あれ... おかしいぞ?

「月寒あんぱん」の公式HPによると、会社が創業したのは、明治39年です。歴史の長い会社であることは間違いありません。しかし、14歳の鯉登少尉が初めて月寒あんぱんを食べたのは、おそらく明治33年ごろのはず。
(鯉登少尉いわく、兄が戦死したのは明治27年で「アタイが8つのときじゃした」とのこと。月寒あんぱんを初めて食べたのは鯉登少尉が14歳のときなので、そこから6年経っているはず...という計算です)

つまり、明治33年前後(=鯉登少尉が月寒あんぱんを初めて食べたとき)って、「月寒あんぱん」って存在してないのでは...?

そんな仮説を検証すべく、「月寒あんぱん」について詳しい人に話を聞いてみることにしました。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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