10代の頃、美容師を目指して故郷の函館を離れた。
「東京の山野美容専門学校に行きました。そこでは毎月『月例会』っていうのがあって、ステージで初めてヘアモデルをやったんです。それからですね、美容師ではなくモデルの世界を意識するようになったのは。でもその後、モデルをやっていくうちにそれ1本で生計が立てられるギャラがもらえるまでに、途方もない努力が必要な世界だってことも痛いほどわかりました」
モデルとしてくすぶっていた頃、青山通りのベルコモンズで買い物をしていたとき、菊池武夫と大楠裕二ともに『BIGI』を立ち上げたデザイナー・稲葉賀恵に声をかけられた。
「あなた、どこの事務所?今度うちのコレクションがあるからオーディション受けてみない?」
この出来事をきっかけに、田中さんはファッションモデルとして飛躍を遂げ、1981年のパリ・コレ初出演にたどり着く。
特に、当時世界的な人気を誇っていたデザイナー・君島一郎に見出され、海外のコレクションでは君島ブランドの顔の一人として出演を重ねた。
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