1971(昭和46)年、20歳のときにモデルとしてデビューし、1981(昭和56)年からおよそ10年にわたり、世界最高峰の新作発表会であるパリ・コレに出演。
以降、彼女が現役時代のステージで身にまとったのは、君島一郎、ピエール・カルダン、マダム・グレ、三宅一生、コシノ・ジュンコなど目もくらむようなトップブランド。
40代まで東京・パリ・ニューヨークと3つのエージェンシーに属し、世界中を駆けめぐった。
「本当に楽しかったですよ。たしかにまともにモデルで食べていけるまでの苦労もありました。お金がなくてラーメン1杯も注文できなかったりね(笑)。オーディションでの競い合いとか体型の維持とかこの仕事ならではの大変なことがありましたけど、それと比べものにならないほどの貴重で素晴らしい経験をさせてもらいました」
シビアなモデルの業界で、それも世界の舞台でしのぎを削っていた現役の頃を振り返る田中さんの表情は、とてもやわらかく優しい。
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