2023.03.08

暮らす

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「週8でケンカしていた」20代でUターンした幼なじみコンビが描く、人口5,000人の小さなまち・浦幌町の未来とは

十勝の東側、帯広市からも釧路市からも車で1時間ほどの場所にある、浦幌町。人口約5,000人の小さなまちに、いま、志をもった若者たちが続々と集まっています。
生まれ育った町を良くしたいと思いUターンする若者や、子どもたちを対象にした「うらほろスタイル」の取り組みに惹かれ移住する若者、そして、ビジネス第一線で活躍するスキルも経験も持った若者が関係人口となる、そんな動きが盛んです。
前回の記事に引き続き、浦幌町に集う若者たちの姿をお伝えします。

2000年生まれの幼なじみコンビ、地元・浦幌町へUターン。

小倉 理記也さん(写真左)、近江 幹太さん(写真右)

小倉さん、近江さんのふたりは、2000年に浦幌町に生まれ育ち、進学で町を出たにもかかわらず、浦幌町に戻り生きることを決めました。小倉さんは「十勝うらほろ樂舎」のメンバーとして、次の世代にバトンを渡すため。近江さんは、94年間町民に慕われていた蕎麦屋の味を引き継ぐため。そんな二人は、どんな未来を作ろうとしているのでしょうか。

小倉 理記也(写真左)
2000年浦幌町生まれ。本別高校入学と共に「浦幌部」を立ち上げた。高校卒業後は恵庭市の専門学校で医療に関することを学び、2022年4月十勝うらほろ樂舎入社。

近江 幹太(写真右)
2000年浦幌町生まれ。池田高校卒業後に自転車とヒッチハイクで旅にでる。2020年Uターンし、十勝うらほろ樂舎に入社。2022年7月4日にかし和家をオープン。

ーー 現在取り組んでいることを教えてください。

小倉理記也)
2022年4月に、十勝うらほろ樂舎に入社しました。十勝うらほろ樂舎は、浦幌町を舞台に「持続可能な地域づくり」に必要な、課題解決や事業創出に取り組んでいる組織で、僕は教育チームに所属しています。教育チームの他にも、町と大学と企業が協働で、買い物に不便な地域の高齢者に向けて課題解決する事業にも参加しています。 
僕はおじいちゃんおばあちゃん子ですし、町に住む人たちが大好きなこともあり、医療や福祉などをもともとやりたかったんです。
他にも、プライベートで中学校3年生が参加する浦幌スタイルの事業「子どもの思い実現ワークショップ」の副座長を務めることになりました。

笑顔が素敵な小倉さん

近江幹太)
僕は、浦幌町の「かし和家」というそば屋で店長を務めています。かし和家はもともと94年間続いたそば屋だったのですが、当時の店主である山岸さんが引退することになり、十勝うらほろ樂舎の代表でもある父から「かし和家を、若者がチャレンジできる場にしたい、やってみないか?」と話をもらったのがきっかけです。その時は、「あ、やってみよっかな〜」とあまり考えずに引き受けました。
修行を始めると、かし和家が町民に本当に愛されてきたのを感じ、かし和家は浦幌町に必要な存在なんだと気づいたんです。そこで初めてかし和家を継ぎたい、山岸さんがやってきたこと守って続けたいと思って、そば屋をやることにしました。

かし和家を継いだ近江幹太さん

小倉理記也)
かし和家は本当に愛されてきたそば屋だよね。僕も小さい頃食べてました。年越しそばはかし和家というのが、僕の家の決まりだったんです。去年の年越しそばも、幹太が継いでくれたおかげで、かし和家のそばを食べることができました。

近江幹太)
実は、僕はそんなに食べたことなかったんです…(笑)。だから本当に最初は気軽に引き受けました。

ーー お二人は同級生とお聞きしました!

近江幹太)
はい。高校は浦幌にないので違う学校に進学しましたが、中学校まではずっと一緒です。実は僕たち、中学生の頃は、週に8回くらいケンカしていたんです(笑)。

小倉理記也)
そうだね(笑)。それで、お互いのいいところだけじゃなくて、だめなところもわかった気がする。学校が遠かったから、下校時にいろいろと話していたよね。

中学生の頃のお写真

ーー まさに青春ですね!お二人とも、高校進学を機に町外に出られていますが、なぜ、浦幌に帰ってきたのでしょうか?

小倉理記也)
学んだことを活かすなら本州で就職したほうがいいんじゃないかと悩んだこともありましたが、やっぱり浦幌が好きだったので、Uターンしました。
家族や、浦幌で共に育った友達がすごく好きだったんです。町のあちこちに、友達と過ごした大切な場所と、思い出があるんですよね。だから浦幌との関係を途切れさせたくないと思いました。

浦幌町で働くを探す「つつうらうら」をcheck

子どもの頃には気づけなかった、まちの魅力を再発見

小倉理記也)
高校生の時は浦幌部の活動がありましたが、専門学校に通っていたときは町から離れていたので関わることはあきらめました。ですが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、それまで行われてきた「子どもの思い実現ワークショップ」がオンライン開催になったんです。それで、ワークショップに参加することができました。
あとは…専門学校の長い休みの時に、かし和家を手伝ったりしてました(笑)。

オフライン開催の「子どもの思い実現ワークショップ」の様子

近江幹太)
僕は、いずれ浦幌に戻るんだろうなとは思ってました。将来、ずっと住むなら浦幌だろうなと。
高校卒業後はフリーターで、自転車でいろんな地域を回っていたんです。田舎が好きなので、いろんな町の、いろんな田舎に行ったら、「田舎が好きなんじゃなくて、浦幌がいいんだ」ということに気づきました。家族がいる、友だちがいる、そういう浦幌が好きなんだと思えたのが、帰ろうと思った決め手です。最初はかし和家ではなく、十勝うらほろ樂舎に入社しました。

ーー お二人が、浦幌でとてもいい人間関係を築いてきたことを感じます。しかし、浦幌町で働くことに迷いはなかったのでしょうか。

小倉理記也)
父親や身近な人が浦幌町内で働いて生活する姿を見ていたので、浦幌で働くことに不安はありませんでした。町に何もないわけではないし、もし仕事がなくなったとしても農家でバイトするなど働こうと思ったら働けるんですよね。だから大丈夫だろうなと思ってました。

近江幹太)
でも、理記也が就職先に悩んだとき、僕の父さんと3人で話したりしたよね。

小倉理記也)
そうだね。
一番の友達である幹太の父さんが、うらほろスタイル十勝うらほろ樂舎の中心的存在だったので、就職先の相談をしました。

小倉理記也)
「幹太の父であり、僕に浦幌での希望を与えてくれた、近江さんです」

ーー 実際に帰ってきてどうですか?

近江幹太)
学生の頃から浦幌の人と関わっていましたが、社会人になって帰ってきたら、礼儀とかにも気をつけないといけないのが、変な感じがしました(笑)。
あとは、「こんなふうになりたい」と思えるような大人と出会ったのは、自分が帰ってきてからでした。ずっと暮らしていたはずなのに、身近にいたはずなのに、周りの大人のことを全然知らなかったんですよね。社会人として帰ってきて初めて分かったことがたくさんあって、町に対する解像度が上がった気がしました。

小倉理記也)
確かに、自分たちがうらほろスタイルを受けていたときには知らなかったことや、子どもの頃には気づけなかった大人の意外な一面がたくさんあることを知りました。
例えば、「子どもの思い実現ワークショップ」で座長を務めていた方は、僕が剣道を習っていたときの先生だったんです。もちろん尊敬していましたが、大人になって戻ってきて、剣道以外の格好いい面もたくさん知りましたし、ワークショップの座長として、当時めちゃくちゃ悩んでいたことを知りました。

「子供の思い実現ワークショップ」座長とツーショット。

ーー お二人が大人として、この町を作っていく存在だと受け入れられたから、知り得たことかもしれませんね。それぞれ、これからどんなことに挑戦したいですか?

小倉理記也)
大人版の部活動のような「浦幌部」をつくって、コミュニティにしたいです。浦幌で育った同級生だけじゃなく、町外から来てくれた同年代の人とも、会えて繋がれる場所を作りたいと思っています。そして、町内のイベントに出店したりしたいですね。
昔よく同級生と話してたのが、みんな浦幌に帰ってきてそれぞれ起業して、みんな社長になって飲みに行きたいね、と。

近江幹太)
同級生とは、わりとふざけながら、現実味のない理想を話すことが多かったんですが、話題にはいつも浦幌がありましたね。みんな美容師や消防士になっていたりするので、「僕らがいれば町成り立つじゃん!みんな帰ってきたらよくね!?」とかとか…(笑)。何か浦幌のためになることをしたいよね、と話していますね。

同級生での集まり。

小倉理記也)
そういえば、幹太がかし和家を始める前に、同級生で「飲食店やりたくね!?」って話してたよね。町内にある空き店舗を活用したいと思っていました。

近江幹太)
そうそう。夜に時間を合わせてzoomで打ち合わせをするのを1年間くらい続けてたよね。けっこうちゃんとやってたけど、それは形にならなかったね。

小倉理記也)
確かにやってたね。いま浦幌にないのは何かとか、参考にしたい店舗はどんなところかとか…毎回宿題も出し合ってたし。同級生7〜8人で、当たり前のように浦幌について考えていたね。

近江幹太)
毎回、2時間位は真剣な話をして、2時間くらいふざけて、だいたい理記也が寝たいって言って終わってたね。そういう友達との拠点をつくりたいという思いはありました。かし和家は、そういう場所にできそうかなと思っています。

ーー これから浦幌町をどういう町にしていきたいですか?

小倉理記也)
新しいものが次々と生まれる町にしていきたいです。
でも最新を追いかけるだけじゃなくて、過去から続いてきたものも大事にしながら、町外から浦幌に関わってくれる人たちも含め、町全体が和気あいあいとしている町にしたいです。例えば、昔から行われてきた町のお祭りに、同年代の移住者が自然と参加できるとか。
十勝うらほろ樂舎では、色んな分野に取り組むためにいくつかのチームに分かれていますが、スポーツチームが、新型コロナウイルス感染拡大前に行われていたスポーツ大会などをリニューアルし、継続に力を入れています。アップデートしつつ、残していきたいですね。
他にも、昨年8月に、若者交流会を実施しました。参加者は24名で、町内出身が半分、移住者が半分という内訳です。これをきっかけに浦幌町を知って、ワークショップに関わってくれる人が増えたりしました。交流会は頻度高くやっていきたいことの一つです。

近江幹太)
僕は、浦幌で生まれ育った子が、中学校を卒業して、高校を卒業して、やりたいことができたときに、「浦幌っていう選択肢はないな」とならないようにしたいです。
例えば、美容師になりたいとしたら、「都会にいかないと修行できない」ではなくて、「浦幌でも修行できる」ようにしたくて。そういうサポートや制度があって、学生の頃から知っていれば、「美容師になる=都会に行かなきゃ」とは必ずしもならないはずです。
実は、スポーツに関しては、いろんな方が教えてくれる制度があるのですが、まだ知らない人も多いです。
だから僕は、都会でやりたいことがないから帰ってくるのではなく、浦幌でやりたいことがあるから帰ってくるようにしたいですね。

小倉理記也)
強制的に戻らせたいとは思ってないよね。浦幌が好きだから、浦幌でやりたいことがあるから、戻ってきてほしいよね。

ーー 現在、浦幌町で生活する子どもたちに対して、したいことはありますか?

小倉理記也)
「浦幌でもできるよ!」と言い続けたいです。
うらほろスタイルでは、子どもたちが町に対して意見を言う場だけを用意するのではなく、その意見を自分たちで実行してみるところまでやってもらっています。例えば、「町にカフェがほしい」という意見が出たら、町の飲食店に協力してもらい、実際にカフェを開き、どれくらい人が来店するかを体験します。夢を持ち、提案し、多くの大人たちのサポートを体感し、子どもたちが夢を持ち続けられるようにしたいです。

近江幹太)
僕が浦幌に帰ることを決めたのも、浦幌について熱く語るかっこいい大人たちがいた、というのは、自分の中で大きな理由の一つです。だから、なれるかわからないけれど、僕もそういう大人になりたいです。熱い思いを持った大人がたくさんいたら、子どもたちも「浦幌っていい町だな」と思ってくれると思う。だからまずは自分がかっこいい大人になれるように、頑張って仕事をして、熱い思いを語れるまで成長したいと思います。

大人になってから、生まれ育った浦幌町に戻ってきた二人。普段は、小倉さんがかし和家に食べに行ったり、二人で昆布刈石展望台まで行って語り合ったりと、変わらぬ友情を育んでいるそうです。
浦幌には、次の世代の活躍を願い活動する方や、浦幌のために何かしたいと思い帰ってくる若者がいます。これから浦幌はどんな町になっていくのでしょうか?とても楽しみですね!

浦幌町には何かがある!うらほろスタイルをみる

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Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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