「小原さん、晩飯どうしましょう…スープカレー?ステーキ?」
私たちの晩ご飯のメニューは、いつもこの2択でした。
小原さんは「きょうはスープカレーにしようか、カラダが冷え切ってるから」と。「いいですねー」と私。
おととしの12月、冷え込んだ満月の夜の撮影を終えて、そんな会話を交わしながら、車にそれぞれの撮影機材を積み込んだのを覚えています。
まんまるの月をバックに、木の芽をかじるエゾモモンガの姿を撮影することが出来た私たちは、まだその興奮の中にいました。
〝牡蠣のスープカレー・スープ大盛り〟を2つ注文すると、2人ともすぐに MacBook を開き、小原さんは写真を、私は動画をチェックします。「これ見てよ!」と小原さん。画面には、青く照らされた満月の森に、エゾモモンガが野生の姿を見せています。「スゴイ!こんな写真、これまで見たことがないですよ」と私。もちろんお世辞ではありません、ほんとうに。
小原さんが撮影した、月夜の森のエゾモモンガたちの、青い夜のシリーズは、小原さんだけの「小原ブルー」とも呼ぶべき、それは美しい作品群でした。
小原さんが使っていたのは、その2か月前に発売されたばかりのソニーの超高感度のミラーレス一眼カメラです。満月ほどの光さえあれば、夜のエゾモモンガの姿(まだ誰も連続した記録写真としては撮っていない)を捉えることが出来るはずだと、小原さんはエゾモモンガの森の近くで、最初は車中泊、その後はアパートを借りて、毎晩、エゾモモンガの観察を続けてきました。
小原さんは、ホタルをテーマに写真を撮っていたこともあり、暗い場所で写真を撮るのには多くの経験もありました。
そして、夏の、うっそうと葉が生い茂った暗い森にしか姿を見せないエゾモモンガの赤ちゃんの姿も、小原さんは高感度のミラーレスカメラで捉えていました。エゾモモンガは、基本的に夜行性の動物ですから、昼に姿を見せるのはごくまれです。そんなわずかなチャンスを〝確実に仕留める〟のは、やはり写真週刊誌時代に鍛えられたスナイパーとしての資質なのでしょう。
小原さんは、報道写真家として、天安門事件、湾岸戦争、ソマリア内戦などを取材。その後、アザラシの赤ちゃんと出会い、1990年に初めての写真集を出版し、日本じゅうに〝アザラシの赤ちゃんブーム〟を巻き起こしました。
しかし、地球温暖化のせいなのか、アザラシの繁殖地に流氷がまったく現れず、アザラシの赤ちゃんを撮影できない年もありました。
ちょっと落ち込んだ小原さんに声をかけたのは、札幌在住のカメラマン・北川 譲さんです。
「アザラシの赤ちゃんに、顔がそっくりな鳥が北海道にいます、撮ってみませんか?」と。
そう、小原さんとシマエナガの物語は、こうして始まりました。
小原さんの写真によって、シマエナガは〝雪の妖精〟として、日本じゅうに知られるようになったのです。
小原さんに、とっても貴重な「シマエナガだんご」の動画を撮影していただいたこともありました。
〝だんご〟の状態も良く、しかも11羽のシマエナガが全員こっちを向いているという極めて珍しい動画。私はこれ以上美しい「シマエナガだんご」を見たことがありません。
小原さんは、北海道でエゾモモンガを追いかけていた去年の夏、体調の不良を感じ、病院で検査を重ねました。
長くかかった検査の結果は、〝末期の肺がん〟でした。
去年9月末、私はモモンガの森に、小原さんを訪ねました。小原さんは痩せ、呼吸が乱れて、歩くことも辛そうでした。私は、自分と小原さんの2台のカメラをかかえて歩き、エゾモモンガの巣穴の前で、小原さんのカメラを三脚にセットしてリモコンのシャッターを手渡しました。
「おかげさまで、久しぶりにモモちゃんを撮りました」と、ニッコリ微笑んでくださった小原さん。いつものスープカレーの店に行きましたが、大好きな〝牡蠣のスープカレー〟を前にしても、これまでのようには食は進みません。
数日後、小原さんは入院し、本格的な治療が始まりました。新型コロナの流行もあり、私は病院にも行けず、メールのやりとりも上手く出来ません。
最後に、いっしょにモモンガを撮った50日後の、2021年11月17日、小原玲さんの訃報が届きました、まだ60歳でした。
小原さんは、私が制作したテレビ番組「もふ!もふっ!北海道の動物たち」(2021年5月2日 放送) にご出演くださり、インタビューにこう語ってくださいました。
「最初は〝かわいい〟っていう気持ちで良いんです。〝かわいい〟って感じる気持ちは、理屈抜きで心を動かされる、とても強い思いです。ですから〝かわいいは最強〟なんです。〝かわいい〟から始まった気持ちは、〝だから守りたい〟っていう思いに変わっていきます。それが森や環境を守る行動につながっていくのだろうと私は思っています」
私が現在、事務局となって運営させていただいている、インスタグラムを中心とした「北海道3大かわいい動物」プロジェクト も、小原さんから大きなヒントをいただきました。
先月、ご家族の手によって、写真集が出版されました。
小原さんが、厳しい撮影条件と孤独に耐えながら、強い意志を持ってエゾモモンガを撮影し続けたのも、〝かわいい〟をたくさんの人に届けたいという気持ちにほかなりません。
そんな小原さんと、小原さんのご家族の思いがつまった、とってもかわいい〝エゾモモちゃん〟の写真集です。ご覧いただければ、幸いです。
文:インスタグラム「北海道3大かわいい動物」プロジェクト事務局・田中 敦