2022.10.22
深める生まれ育った環境を、「なんでふつうじゃないんだろう」と気にしていた子ども時代。
でも、27歳になった今の生き方は、全然「ふつう」じゃありません。それでも、この生き方を選んで「よかった」と言うのです。
村上晴花(むらかみ・はるか)さん。北海道の未来を守る、キーパーソンの一人と言っていい存在です。
世界遺産・知床の魅力を守り、そして北海道全体のクマ対策にもつながる活躍をしています。入社3年目にして、知床のホテルが「地域への恩返し」として始めた、創業60周年事業を任されました。
抜擢された背景を、幼少期から遡って聞いていくと、自分らしい生き方を見つけるためのヒントが隠れていました。
多様な生き方連載「こう生きたっていい」
【この記事の内容】
・「ふつう」じゃなかった、子ども時代
・偶然出会った言葉に導かれ…
・楽しい仕事に、ふと湧いてきた疑問「ここは知床のホテル?」
・「クマ活」のもとになったもの
・世界遺産は、行くだけでは楽しめない
晴花さんは大阪出身。子どもの頃は、自分の家庭環境が「なんでふつうじゃないんだろう」と気にしていたといいます。
当時の晴花さんにとって「ふつうの家庭」とは、「父親は20歳くらい年上のサラリーマンで、母親は家で家事をしている」家庭でした。一方、晴花さんと父親は45歳年が離れていて、ネジなどを作る工場を営んでいました。母親は工場の経理を担当していて、夏休みには1歳年上の兄と一緒に工場を手伝うのが定番の過ごし方。
「ふつうじゃない」と感じたことは、中学生のとき、学校に行かなかった頃にもありました。「いじめまでいかないけど、やんちゃな学校だったので、行きづらいなと思った」時期があったそう。
そのとき、家族から「学校に行け」と言われなかったそう。それも、当時は「ふつうと違う」と気にしたといいます。
ただ、今思うと、「ふつうじゃなくてよかった」といいます。
昼になっても学校に行かず、家にいる晴花さんに、母親は嫌な顔をせず、「お昼どうする?」と自然と聞いてきたそう。面と向かって「学校には行かなくてもいい」と言われた記憶はありませんが、頭ごなしに否定されなかったことで、「自分では整理できない気持ちに、焦らなくていいと言われているような気がした」といいます。
月日が経つにつれ、「ふつうってあり得ない」ということに気がついていきます。「人と比べがちだったけど、大人になってからそれが個性だったと気づきました。ふつうじゃない親だったから、私の選択肢も広がったのかなって」
晴花さんが進みたい選択肢を見つけたのは、「ふつう」より、少し遅め。
センター試験を翌月に控えた12月。大阪・梅田で、獣医学や農学に特化した大学の説明会で引き留められ、たまたま座ったブースが、人生を大きく左右します。
北海道・江別にある酪農学園大学のブースです。「環境共生学」の説明で、10年以上経った今でも思い出せる言葉に出会いました。
「獣医学は、目の前の動物の命を救える学問です。環境共生学は、目の前の命は救えないかもしれないけれど、『なぜこの鳥は倒れているのか』を考えて、その次の鳥を助けることができる学問です」
縁もゆかりもなかった北海道で、”雪国での一人暮らし”というチャレンジができることも後押しし、志望校に決めました。
そして、見事合格。
クマとの出会いは、ここからです。
大学2年生になり、どの研究室に入るか決めるために、色々な調査に「お試し同行」する期間がありました。豊平川で魚や虫を捕まえたり、西興部に行って地元のハンターと話したり、真駒内駅に集合した後どこかの森に連れて行かれて、よくわからないまま丸太を運ばされたり、木に鉄線を巻き付けさせられたり…。
この丸太を運んだ日が、実は、鉄線に引っかかったクマの体毛や、近くに仕掛けたカメラの映像からクマの調査をするというフィールドワークでした。クマを捕獲せずに調査ができる方法です。
作業中は、あまり実感が湧いていなかったという晴花さん。しかしその日の最後に、学生OBのスタッフが、「こうして仕掛けたところに実際にクマが来たことがあるんだよ」と、過去に撮影された動画を見せてくれました。
「そのときの感動、わくわく感が印象に残っていて」と、声を弾ませて振り返ります。
こんな大きな不思議な動物がいるってすごい。いま自分がいる場所に来るなんて…。
クマの魅力に引き込まれた瞬間でした。
「当時はクマの注目度も今ほど高くなくて、迷いましたが、やっぱりヒグマが忘れられなくて。あの研究、絶対面白いなとどうしても思っちゃって」、クマの研究に進むことを決めました。
しかし晴花さん、在学中はあまり研究にのめり込んでいませんでした。
不真面目だったわけではなく、少林寺拳法部の活動にも一生懸命だったのです。大学4年生の11月まで全国大会に出るほどの活躍ぶりで、部や大会の運営にも関わっていたので、大忙しでした。同期の中で、「一番調査に行っていない人」だったといいます。
それなのに、なぜ卒業後も、北海道のクマ対策に関わるようになったのでしょうか?
晴花さんは、大学卒業後の進路を決めるタイミングも、「ふつう」より遅めだったようです。
大学4年生の9月、研究室の先輩に誘われて、知床の博物館のアルバイトに行きます。それが、初めての知床。1週間の滞在が、とても濃密で、「大阪とも札幌とも違う景色」に圧倒されたといいます。
その後、大学の就職課のメールの中に、知床でホテルを営む「北こぶしリゾート」の案内を発見。パンフレットに書かれた「自然バカ募集」の文字に、「私のことだって思って!求められている気持ちになった」と笑います。
配属されたのは、レストラン。ビュッフェ会場でお客さんを席に案内したり、困りごとに応えたりする仕事を担当しました。
お客さんと「きょうはどこに行ったんですか?」など知床の話をするのも楽しく、スタッフ全員でオープンからクローズまで一丸となって過ごす日々が「部活みたいで、体育会系の熱い気持ちが出てきて」充実していたといいます。
2年が経ったころ、個人的に自然の勉強を深めたり、お客さん相手にクマの話をするイベントをしたりと、少しずつ自分らしさを求めていきました。
そして、ホテル全体へのモヤモヤも生まれます。
「このホテルって知床にあるホテルなのかなって、疑問に思っていたんです」
世界遺産であり、その雄大な自然に惹かれたはずの観光客が集まる、知床。「知床自然センター」では買い物をしてもレジ袋はないのがずっと当たり前で、環境を大事にするまちです。
一方で、ホテルに一歩入れば、アメニティも、水や電気も、使い放題。ビュッフェでは好きなものを好きな量だけ取れるはずなのに、毎日大量に出る食べ残し。「同じ知床なのに、ホテルの中と外の差ってなんだろう」という違和感は募っていきました。
入社3年目の11月、晴花さんはその想いを、役員に直接訴えます。
役員は、1時間ほど、対等な立場で話を受け止めてくれた上で「来年60周年になるので、地域への恩返しになる、SDGs活動を考えている」と教えてくれました。
それが「クマ活」。
知床財団とも協力して、クマを住宅地に寄せ付けないための草刈りやゴミ拾い、クマについて考えるワークショップをする活動です。
晴花さんがお客さんにクマの話をしていることは、社内でじわじわと広がり、役員にも届いていました。
そこで、役員は「クマ活にぜひ関わってほしいと思っている」と話してくれたといいます。
そのわずか1か月後に、「経営戦略室」への異動が決定。
2020年1月、60周年の節目が半年後に迫る中、「クマ活」への挑戦がスタートしました。
具体的にどう実行するか考えるとき、晴花さんの大学時代の経験が生きてきます。
晴花さんが所属していた酪農学園大学の研究室では、2014年から毎年、札幌市南区の石山地区で、地域の人と一緒にクマ対策の草刈りを行っています。クマとばったり出会わないよう、見通しをよくする対策ですが、今やすっかり、地域の恒例行事。住民どうしや、住民と学生との交流の場でもあります。
晴花さんも、大学時代、一度だけその草刈りに参加したことがありました。「楽しかったんです。一般の人がクマに興味を持ってもらえる仕組みだったので、それをまるまるイメージして、資料ももらいました。石山での経験がなかったら、『クマ活』をどう進めるか、イメージしづらかったと思います」
「クマ活」も、60周年のその年だけでなく、恒例行事となって、ことしで3年目。道外の観光客が参加する楽しみのひとつにもなっています。先月は初めて知床を飛び出し、札幌での「クマ活」も開催。
真面目な活動と思うかもしれませんが、晴花さんは終始、笑顔なのです。
「自然保護の活動って特殊な人が自己犠牲のもとでやるのが主流だったと思うんですけど、クマ活はやりたいからやってるんです。すべてのクマの命が救えるわけではないですけど、参加してくれた人が『楽しかったね、来年もやりたいね』と思える雰囲気を作りたい」
草刈りやゴミ拾いで、クマの出没がゼロになるわけでも、駆除されるクマがゼロになるわけでもありません。
実際に、「クマ活」で草を刈ったその日に、翌日草を刈ろうと思っていた場所で、クマが駆除されたこともありました。「もっと早く対策していれば」…感じた後悔は、簡単には消えません。
ゴミ拾いをしているときに、目の前でタバコをポイ捨てされたこともありました。
それでも、「楽しさ」を大切にしていれば、「クマ活」が少しずつ人の意識を変えてくれると信じて、活動を続けています。
「クマ活」開始前、「ここは知床のホテルなんだろうか」とモヤモヤしていた晴花さん。
“消費”される観光では、「知床の経済は潤うけど、心は疲弊していくと思う」と話します。
世界遺産・知床を楽しむとは、どういうことか。
「『クマとの共存』だったり、こちらが楽しんでほしい知床を発信して、心から楽しんで、心が動く体験をしてほしいです」
「酪農学園大学に行ってなかったら何していただろう、知床に来なかったら何していただろうと考えるけど、想像がつかないんですよね」
今の生き方を選んで「よかった」という晴花さん。
今、生き方に迷っている人へのメッセージを聞きました。
「やりたいことが見つからないなら、何かしらアクションを起こすのがいいかなと思います。散歩でもいいし、好きな芸能人と同じ本を読むでもいい。何が起こるかわからないけれど、何かとりあえずやってみて、心が動くことが、一歩になると思うんです」
そして最後に、こう振り返りました。
「だから、学校に行けなかったときに、お昼ごはんに誘ってくれた母親に感謝だなと思いますね」
母親について歩くうちに、「ふつうはあり得ない」と社会の広さに出会えるかもしれない。
たまたま座った席で、心惹かれる学問に出会えるかもしれない。
よくわからず丸太を運ぶうちに、就職後の自分らしさにつながるきっかけに出会えるかもしれない。
1週間のアルバイトで、住み心地のいいまちに出会えるかもしれない…。
あなたの一歩は、どんな世界につながっているのでしょうか。
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