2026.10.21
深める本間アナ)そこから総務の財政係長などを経て、35歳でニセコ町長選挙に立候補して初当選。当時全国最年少町長となられたわけですが、どういうきっかけだったんですか?

逢坂さん)政治家を目指して公務員になったわけではなかったんですが、仕事をしてみると公務員の仕事は、ものすごく大事だと分かったんです。一円のお金も無駄にできないという意識で真面目に仕事をしたんですが、真面目にやればやるほど、上司のやり方が非効率に見えてね。「自分だったらこうやるのに」というのがあったんです。
本間アナ)なるほど!
逢坂さん)そうしたら31歳のときに「お前そんなに思いがあるなら町長をやれ」と言われたんですが、私は政治が嫌いだったから、最初は断ったんです。しかし、35歳のときにまた選挙の時期が来て、「お前がやるしかない」ということになり、自分の中で覚悟を決めて立候補しました。政治家になりたくて、なったというより「これは自分がやるべき仕事だ」「町長じゃないとできない仕事だ」という使命感からですね。

本間アナ)その使命感というのは、具体的にどういうことだったんですか?
逢坂さん)一番大きかったのは「人への投資」です。地域でも国でも一番大事なのは「人」なんです。地方に元気がない理由のひとつは、人への投資が不十分だから。
そしてもうひとつは「税金の説明責任」です。税金は、誰も払いたくて払っているわけじゃない。だからこそ、どう使ったかをちゃんと説明する。説明すれば住民の中に「ここはどうなっているのか」という疑問が生まれ、それが地域を自分たちで治める「自治」のエネルギーになる。
人への投資、情報公開、住民参加、これは当時の自分にしかできないと思って町長にならせていただいて、3期やらせていただきました。
本間アナ)町長を3期務められて、そこから国会議員になられた理由は?

逢坂さん)政治家が好きじゃないので、国会議員になるつもりもまったくなかったんですが、2001年頃から小泉政権が始まって「地方行革」や「三位一体の改革」で地方の財源が削減されたり、効率性が重視されるようになったりしたんです。田舎は、1人当たりのコストがかかるから、効率性が悪いじゃないですか。だから、地方が切り捨てられるような状況になった。平成の大合併などもあった。
でも、私は小さい自治体には小さいなりの存在意義があると思っていて、日本の国政は「自治」に対する観念があまりにも希薄だ、自治のことが分かっていないと思ったんです。「それなら自分が国会に行くしかない」と思って、2005年に国政へ挑みました。
名誉のためではなく、やるべきことがあったから国会へ行こうと。
今、お金が苦しくても活動を続けているのは、「自分じゃなきゃやれない仕事がある」と思っているからです。
本間アナ)節目節目で、使命感に駆られているんですね。
逢坂さん)日本の情報公開の仕組みは遅れている、それもちゃんとしなきゃいけない。2009年に「公文書管理法」を作ったりしてきましたが、それもまだ足りない。農業人口の減少・高齢化対策も、田舎で農業の身近で育った人間こそができる仕事だと思う。それから教育、取り調べや証拠の扱い、まだ不十分。これから私がやる仕事だと思っている。
金がないのになんで無理して…と思うかもしれませんが、やるべきことがまだありますから。
本間アナ)じゃあ、早く次の選挙が来てほしいんですね。
逢坂さん)1分1秒でも早くね!いまは国会も相手を否定したり、強い言葉を投げたりするとネット上で嫌われる傾向があるが、主張するべきことを主張しないと国がダメになると思うね。
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