2026.08.27
深める
きっとさ、凄まじいストレスを抱えることもあるんじゃないかなって思うのよ。
だって子どもたち、みんな「これでもか!」ってぐらいバラバラなわけじゃない?
どの子にどんな風に接したらよいのかはもちろん、そんな成長過程にある個が集団となったときどう動くか、どう教導したらよいのかも、観察の上に予想して、決断し、行動に落とし込んでいかなければならない。
しかも、その行動がスムーズであることを担保すべく、自分が受け持つ児童たちそれぞれと信頼関係というベースをしっかり築き、都度その間柄をメンテナンスしておく必要もおそらくあるわけで。
これって当然、並大抵の所業じゃない。
その上、さらに。
人間って、互いに一定数の譲歩や調整が可能な大人同士ですら、相性の良し悪しというのが発生し、その度に当座の立ち居振る舞いが難しくなったりします。
いわんや、大人から子どもに対しての関係をや。
児童側から拒絶されてしまったり、避けられてしまったりすることもあるでしょう。
大人も同様に、きっと目の前のお子について、おのれと合う/合わないを感じる瞬間はあるはず。
けれど、大人の側はプロフェッショナルとしても、その感覚に身を委ね切るわけにはいかなかったりして。
自分をどう律するかに、きっと並大抵でない葛藤を覚えるのではないかしら。
「エゾリスあざらしマン」さんが子どもたちに抱いている、「どうしても距離を取れな」いのに「きらいにも好きにもなれないこの気持ち」というのは、まさにこの葛藤そのものなんだろうなぁって思うのよ。
最近口にされることが少なくなったようにも思いますが、個人的な考えとしては、いまだに教育/保育関係の職種というのはまさに「聖職」。
だからこそ、そのつとめを果たそうという人たちにかかるであろう様々な負荷の莫大さを思い量るたびに、あたしったら「本当に……お疲れ様です……」と、なんだか切ない気持ちになってしまうのよね。
今回のお手紙を読んだときにまず抱いた感想も、そんな切なさが芯にあるものだったような気がします。
「エゾリスあざらしマン」さん、改めて日々のお仕事、お疲れ様ですよ。
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