2024.10.17

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あの日父が死んだ「人生が終わった…恨んだ」“史上最悪の海難事故”を語り継ぐ今

台風と戦った、生々しい記録

生存した乗組員たちの体験を国鉄がまとめた「台風との斗い(たたかい)」。

台風の翌年に約500部作られ、遺族などに渡されました。
「語り継ぐ青函連絡船の会」の高橋摂事務局長は2011年に本を復刻させました。

「お父さん、叔父さんはこんなふうに台風と戦った。船を沈めないように頑張った記録として残しておくという趣旨」

当時、気象台は「台風は時速110キロで北東に進行、午後5時頃には渡島半島を横切る」と予報します。

そして、予報を裏付けるように港には夕日が…。

大勢の客を乗せ、出航した洞爺丸

「台風の目に入った」誰しもがそう思い、洞爺丸も出航します。

しかし、出航直後に天候が悪化。
実際の台風は渡島半島の手前で速度を落とし、洞爺丸を直撃したのです。

洞爺丸は港の外に錨をおろし、天候の回復を待ちますが波に押され、たまたま海中にできた砂山に座礁。

そのときの船内の様子について「台風との斗い」では、こう記録されています。

『「事務長へ伝令。本船は七重浜沖に座礁した。これ以上動揺もないと思われるから、救助船のくるまで心配しないで待つよう」旅客に伝えるように』

安堵したのも束の間、座礁から19分後には大きな赤い船腹を見せ、転覆・沈没したのです。

海難審判では船長の天候判断を巡り責任が追及されましたが、それでは教訓にならないと高橋さんは指摘します。

「船長だけを追及して思考が停止し、終わってしまうのはよろしくない。教訓とするためには、ミスが起きないように、ミスを犯しても助かるように考えていく」

洞爺丸を沈めた台風は、次の標的を定めるかのように北へ進んでいきました。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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