2023.10.04
食べる視聴者からの疑問や悩みを調査するHBC報道部のもんすけ調査隊。
今回は焼き肉に関する調査依頼です。
依頼者のあっきーさん(20代・千歳市)の依頼はこちら。
「なぜ北見市は“焼き肉のマチ”と呼ばれている?」
タマネギやハッカの町として有名な北見市が、なぜ焼き肉のマチとなったのでしょうか。
北見駅の周辺を調べてみると、隣り合わせに焼き肉店があるだけではなく、なんと焼き肉店が7店舗も立ち並ぶ通りまで。
駅前の狭いエリアに30店舗以上!
焼き肉店だけに“ぎゅうぎゅう”にひしめき合っているのです。
そこで、創業49年、地元でも人気の老舗・香風園(こうふうえん)に向かいました。
ご当地グルメとしても有名な北見焼き肉は、サガリやホルモンなどの内臓肉を七輪で焼き、フルーツや調味料などを加熱せずに作った”生ダレ”に付けて食べるのが特徴。
では、なぜ北見は”焼き肉のマチ”と呼ばれているのか?
北見市民に聞いても…
「よくわからない」
「気づいた頃から、焼き肉のマチになっていた」といいます。
地元民でもわからない、焼き肉のマチのルーツ。
香風園の佐々木愛子さんに話を聞くと、「北見は人口の割に焼き肉店が多い。全国で2番目。それで北見は焼き肉のマチになっている」とのこと!
実は、2019年に行われた調査によると、人口1万人あたりの焼き肉店の数で、北見市(5.05)は全国で2位。
実は札幌市(1.43)よりも、北見市の方が圧倒的に多いんです。
それにしても、なぜ、こんなにも焼き肉店が多いのか?
その理由を、北見市の市史編さん係・斉藤幸喜さんに聞いてみると…
「北見の駅裏に食肉処理場があったので、新鮮な肉が手に入った」と話します。
焼き肉のマチのルーツは、1世紀以上さかのぼります。
1957年発行の北見市史を見てみると、1900年、平野鈴太郎が川向いに食肉処理場を経営したとありました。
つまり、焼き肉のマチのルーツは1900年ごろから始まったと考えられています。
そんな北見に最初の焼き肉店が誕生したのは1950年のこと。
当時、北見駅の南側に食肉処理場がありましたが、サガリやホルモンなどの内臓肉は食べられずに捨てられていたそうです。
そこに目を付けたのが北見で最初の焼き肉店「力(りき)」。
仕事帰りの国鉄職員や市職員が帰り道に肉を食べるようになり、広まったのだといいます。
食肉処理場で加工されたモツを使ったモツ鍋が広まり、焼き肉店として波及していきました。
その後、鮮度抜群の内臓肉が安くて美味しいと、一気に焼き肉店が急増しました。
そんな北見焼き肉を一躍有名にしたものが…
毎年2月に開催される「北見厳寒の焼き肉まつり」。
氷点下10度の寒さの中、屋外に七輪を並べて大勢で焼き肉を楽しむイベントです。
あまりの寒さに焼き肉のタレが凍ってしまうほど!
世界中から人が集まる人気イベントなんです。
しかし、このイベントも古くからあったわけではありません。
当時HBC北見放送局長で、最初に焼き肉まつりを開催した「第1回焼き肉まつり実行委員」の一人、鎌田強さんに話を聞くと…
「2000年はうるう年なので2月29日があった。ミレニアムな肉の日。しかも、夜に外でやったら寒いし、『こんなバカなことをやるやつがいるんだ』と興味を示してくれるんじゃないかと思ってみなさんに提案したんです」
そうして2000年に焼き肉まつりがスタートしました。
寒さが厳しい北見市で焼き肉を楽しむ光景にはインパクトが強く、多くのメディアが殺到。
「焼き肉のマチ・北見」を一躍有名にしました。
調査結果です。
北見が焼き肉のマチと呼ばれるのは、焼き肉店の数が多いからでした。
文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あい
※掲載の内容は「今日ドキッ!」放送時(2023年8月25日)の情報に基づきます。
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