2023.09.06

暮らす

妻の死は「自分のせい」…助かったはずの命。58年連れ添った妻に、毎日手を合わせて【胆振東部地震5年】

「おーい!こっちだよ!」

2023年9月

たくさんのコスモスの奥に見えた、小さな窓。

山口清光(やまぐち・きよみつ)さんが手を振っていました。

2023年9月

86歳。コロナ禍になってから直接会うのを控えていたため、およそ3年ぶりの再会です。

「家に上がんな。…ほら、ここにいるんだよ」

玄関を通ってすぐ、案内してくれたのはベッドのすぐ横。

仏壇がありました。

枕元から見上げると、妻・サダ子さんの写真があります。

サダ子さんは、5年前、胆振東部地震で亡くなりました。

2018年9月6日。清光さんとサダ子さんの住む胆振の厚真町は、最大震度7に見舞われました。
厚真町では大規模な土砂崩れがおき、36人が命を落としました。

厚真町(2018年撮影)

ただサダ子さんは、この「36人」には含まれていません。
サダ子さんは、あの日、地震を生きのびたはずでした。でも、災害は一日では終わらなかったのです。

胆振東部地震から5年。当時からの取材を、改めて振り返ります。

2018年9月6日「奇跡的に助かったはずだった」

厚真町・冨里地区に住んでいた、清光さんとサダ子さん。当時、2人とも81歳でした。

2018年9月6日、震度7の大地震に見舞われました。

「ダダダダーンと。2人でベッドの上にいて、家内を抱きしめて、上から物が落ちてきて。一瞬の出来事だ」

2人でなんとか外に出ると、山の上に生えていたはずの木が、足元にありました。

清光さんとサダ子さんの家の裏山(2019年4月撮影)

「泥が向こうさ行ってたからいいけど、ずれてたら俺らはドサーッってやられた。危機一髪だった」

2人とも命が助かり、「奇跡」だと噛み締めていた清光さん。

しかし、「災害」は終わりませんでした。

厚真町の避難所にいるサダ子さんと清光さん(2018年9月撮影)

避難所に身を寄せましたが、サダ子さんは胃の痛みを訴え始めます。
「ごろ寝で1週間くらいでしょ。枡の中みたいな感じで、1週間くらい。やっと段ボールベッドになってから3~4日しかいなかったんでないかな。ストレスがたまるのも無理もない」

サダ子さんは入浴を嫌がるようになります。避難生活では命を守るために「清潔」も大事な要素。清光さんは風呂に行くように勧めていました。

地震から、12日後のことでした。

「『お風呂に入ってこい』って言ったら、家内はあんまりいい気しなかった。それでも家内が、『あたし先に行ってるわ』って。それで出て行ったっきり、お別れ。それがお別れだった」

9月18日、午後3時ごろ。

サダ子さんが避難所の浴槽で倒れているのが見つかりました。
貧血を起こしたと見られています。

厚真町の避難所(2018年9月18日)

避難所に響く、救急車のサイレン。
清光さんは看護師に呼ばれ、避難所の外に出ると、サダ子さんが担架に乗せられていました。

腕に点滴。心臓マッサージをされながら、救急車へと運ばれていくサダ子さん。

「俺が手をつかまえていたんだ。だんだんだんだん、時間がたつにつれて、冷たくなってきたもん」

家の崩れた裏山の前で当時を振り返る清光さん(2019年4月撮影)

サダ子さん・81歳。
その後、目を覚ますことはありませんでした。

2019年4月10日「地震のせいか、自分のせいか」

妻と家を失った清光さん。厚真町の仮設住宅で、一人で暮らすことになりました。

自炊中、「あっちっち」と耳を触る清光さん(2019年撮影)

「大変だわ、やっぱり一人で暮らすのはね。ごはんを炊くのは家内にまかせきりだった。俺はごはん炊いたことない」

サダ子さんと連れ添った、58年。

仮設住宅で自炊したごはんを食べる清光さん(2019年撮影)

「おもしろいもんでね、夫婦長くなるとそんなに会話ってないもんだ。わかるんだ。話をしなくたって、わかる。態度でわかる」

2人で、たくさん旅行に行きました。
「『あの人たちはどこへでも2人で行ってた』って評判なんだよ」

清光さんとサダ子さん。たくさん旅行に行った

仏壇はいつも、サダ子さんの好きだったものでいっぱいです。
花は毎日手入れされ、枯れることがありません。

仏壇に向き合う清光さん(2019年4月撮影)

清光さんは、「きのうも友達が来て、『サダちゃんはいつ来ても花に埋まってる』って言われた」と微笑みます。

毎日朝晩のお参りで、たまった灰。

2019年4月撮影

「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…。まーいにち、お参りだ」

2019年4月10日。
この日は、サダ子さんの誕生日です。

2019年4月撮影

「誕生日っていうのは、生きているときの誕生日だから。おんなじ82歳に…亡くなった人は年取らんから、特別なのはあれしないんだ」

同い年の2人。この年、清光さんだけが、82歳になりました。

この頃、清光さんは、サダ子さんが亡くなったのは『自分のせい』と思ってしまうと、話していました。

「俺が風呂に行けって言ったから、それで行ったんだから、そんな命落としたんだってさ。いまだにそれは残ってる。言わなければよかったなって」

地震から半年がたっても、サダ子さんの死は『地震のせい』とは認められていなかったのです。

「地震の犠牲者の遺族」にもなれずに、『自分のせい』と思って過ごしてきた、清光さんの日々。
わずかな救いが見えたのは、もう少し先の話です。

続きは次回の記事でお伝えします。

文:Sitakke編集部IKU

胆振東部地震から5年。道内各地の今や、これからの防災に関する情報は、Sitakkeの特集「秋冬のじぶんごと防災」でお伝えしています。

※掲載の内容は取材時(2018年9月~2023年9月)の情報に基づきます。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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