2023.09.02
深める札幌の繁華街、すすきのにネオンが灯る頃、その学舎(まなびや)に人々が通学して来ます。札幌市立星友館中学校は、すすきのに隣接する一角に、去年4月開校した北海道で唯一の公立夜間中学校です。高齢者、不登校経験者、外国出身者…通うべき時期に中学校へ行くことができなかった人たちが在籍しています。10代から80代までの多様な老若男女が、中には過酷な体験をした人が、夜の帳(とばり)の降りた校舎に机を並べています。
なぜ学ぶのでしょうか?なぜ学ぶことができなかったのでしょうか?何を求めて集うのでしょうか?星空の下、学び直しをする人々のそれぞれの事情と姿をお伝えします。
⇒エピソード(1):モロッコと清龍…異国で生まれ育ったある日本人の場合・その1「思い出したくもない過去」
エピソード(2)は、モロッコと清龍~異国で生まれ育ったある日本人の場合・その2「奇跡の来日」 です。
大塚清龍さん(20歳)が、細い細い糸を手繰るようにして来日を果たしたのは、わずか8か月前の今年1月のことです。
アフリカのモロッコでホームレスの状態で路上生活をしていた大塚さんは、日本へ行くためにあらゆる手を尽くし始めます。大塚さんは母が日本人、父がモロッコ人で、日本とモロッコの国籍をいずれも持っていました。
そこでまず在モロッコ日本大使館やモロッコにある日本の機関、関連団体、企業等へ相談に行きますが、大きな壁は渡航費用の捻出でした。十数万円かかる渡航費は当時の大塚さんにとって天文学的な金額で、身元の保証もない大塚さんにその費用を捻出してくれる所はありませんでした。
しかし大塚さんはあきらめませんでした。「モロッコ国内でダメなら日本で探そう(本人談)」と考え、インターネットで難民や福祉を支援する日本の公的機関や団体を手当たり次第に探し、全国各地に支援を求めるメールを発信しました。この時、役立ったのが、日本語を読み書きできたことと、それまでにインターネットで得た日本の知識でした。
大塚さんは家を追われるまでは、日本人の母の下、日本語で育ちました。またインターネットで、日本のアニメやテレビの教育番組を毎日見ながら日本語を覚え、文化や歴史に触れて来ました。さらにはバラエティ番組で流行や方言も覚え、政経番組で日本の国情も常にアップデートしていました。その能力はつい先日、初来日した人物とは全く感じさせない高さで、こうした言葉の力と知識が日本人としての自覚を裏付け、モロッコからの脱出を実現させるエネルギーとなったように見えます。
1通のメールが札幌からモロッコへ返信されたのは、去年9月のことでした。その送り手は、路上生活者など困窮者への支援活動をしている一般社団法人「札幌一時生活支援協議会」の理事、小川遼さん(31歳)です。
「最初は詐欺メールかなと思ったんです、お金の用立てをしてほしいという内容でしたから。でもよく読んでみると、切実な情況がきちんとした日本語で書かれていたので、とりあえずオンラインで面談してみようかと思って、メールを返したんです」と、小川さんは記録簿をたどりながら淡々と振り返ります。細い細い糸が、奇跡的につながった瞬間でした。
その後、小川さんは大塚さんとオンラインでの面談やSNS、メールなどでのやり取りをくり返し、事実の確認を続けると同時に、外務省など日本国内の公的な機関に支援を模索しました。しかしそれはかなわず、クラウドファンディングで募金を呼びかけてみることにしました。ところが大手のクラウドファンディングでは審査が通らず、大塚さん自身が立ち上げた海外のクラウドファンディングでも募金は集まりませんでした。
それでも小川さんはあきらめませんでした。「それまでのやり取りで、彼の日本人としてのアイデンティティが強いことがわかったので、なんとかならないかと思って…(小川さん談)」、今度は自分のSNSに自分の銀行口座の情報を掲載して、募金を呼びかけてみることにしました。
すると2~3日の内に渡航費用に相当する金額が集まり、大塚さんに航空券と防寒着を購入させて、1月28日に北海道新千歳空港で大塚さんを迎えることになりました。「日本の国籍があるとは言え、スムーズに入国できるだろうか」。小川さんは到着ロビーでそう案じながら時間を過ごしました。しかし大塚さんはトラブルなく、ほかの旅客に交じって北海道に降り立ちました。
小川さんはその日、大塚さんのリクエストで、彼が口にしたことのなかった豚肉料理と日本酒を振る舞い、歓迎しました。豚肉料理と日本酒は、大塚さんにとって、それまでの時間と決別する意味があったのかも知れません。1年前は互いに全く知らなかった2人ですが、微かなチャンスでつながり、手繰り合い、人生を変えるほどの事を成した瞬間でした。
大塚さんはその後、札幌市民として住民登録した後、生活保護の受給資格を得て、一人暮らしを始めました。そして小川さんの勧めで星友館中学校のことを知り、5月に入学しました。また、裁判所に改名の申請をして2回目の審査で認められ、モロッコ名「Z(仮名)」は今年7月、正式に「大塚清龍」となりました。「大塚」は日本人の母の苗字で、「清龍」は「過去を清めて、龍のように昇る人生を送りたい」と、来日前から名乗っていたものです。
大塚さんは、インターネットで得た日本の知識が下地となって、星友館中学校では最も難しいチャレンジコースに所属して、数学や国語、理科、社会などを学んでいます。
クラスメートと机を並べて勉強するのは、20歳にして初めての経験です。仮想空間で得た知識と現実にはギャップがあることも少しずつ見えて来ました。しかしそのことも楽しむことができ、「学校」という人との接触の中で学び、自分をどっぷり日本に染めようとしています。
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教頭 末原久史(すえはら・ひさふみ)教諭
「この学校は、本来あってはいけない学校なんです。生徒さんが、通うべき時期に通うことができていればいいわけですから。しかし現実はそうは行きません。だから、なくてはならない学校なんです。どんな事情があっても、ここがセーフティネットとして、生徒さんに安心して過ごしてもらえる場でありたいと思っています」。
*注1)札幌市立星友館中学校は、入学を随時受け付けています。9月から12月までの間に受け付けの場合は来年4月入学となり、来年1月から8月までの間に受け付けの場合は来年5月から10月までの間の入学となります。詳細は同校へお問い合わせください。
◇文: HBC・油谷弘洋
【連載記事のラインナップ】
●プロローグ 開校2年目の夏~札幌市立星友館(せいゆうかん)中学校
●エピソード(1)モロッコと清龍~異国で生まれ育ったある日本人の場合 その1「思い出したくもない過去」
●エピソード(2)モロッコと清龍~異国で生まれ育ったある日本人の場合
その2「奇跡の来日」
●エピソード(3)農作業と入院~少女時代を取り戻す82歳と72歳の青春
●エピソード(4)同級生の前にさらされて…不登校経験者・Y(19歳)
●エピソード(5)「虐待で育ったから…」父子で通う同級生親子
●エピソード(6)3時起床23時就寝…もっと勉強したい56歳 *取材中*
●エピソード(7)モロッコと清龍~異国で生まれ育ったある日本人の場合
その3「再びホームレスと…」 *取材中*