は〜い皆さん、ご機嫌よう!「お悩み相談コラム」担当・満島てる子です。
突然ですが、普段当たり前に思っていることって全然当たり前じゃないんだよなぁって、大人になると実感する瞬間が増えてきますよね。
例えば、行きつけだったお店が不意に無くなったり(北大前に「波華」っていう中華料理の名店があったんだけど、あそこの水餃子定食、もう一回食べたいんだよなぁ……ビール奢ってくれた店長、元気かな)。
毎日使ってたアプリがサポート終了しちゃったり(この間古代ギリシャ語が読みたくなって(大学の専門だったの)、10年近く使っていた愛用の辞書アプリ久々に開こうとしたら、存在そのものが無くなってたり。あれは驚愕だったわ……)。
自分たちの日常というか「普通」というかが、いかにフッと消し飛んじゃうものなのか。
それを自覚するタイミングがゴロゴロ転がっているように思うのよね。
これも歳とった証拠なのかしら(白目)。
誰かとの出会い、そして別れも、きっとそうしたタイミングのひとつ。
今回は大切な人との別れを惜しみ、悩みを抱える方からのお手紙を紹介します。
事に気づき、そこからどうしたのかなどの経緯の細かい描写や、「異変に気づいていれば」といった文言に、時々垣間見える悲哀と後悔。メッセージの書き様からして、なかなか周囲にこうした心情を吐露することも難しかったんじゃなかったかしら。
Y.Iさん、この投稿フォームに気持ちを送ってくれてありがとう。そして何より、ご友人を亡くされたことに、心よりお悔やみを申し上げたいと思います。
「もっとこまめに連絡をとればよかった」「もっと何かできていれば」。
チープなコメントかもしれないけれど、その後悔、その気持ち、とてもよくわかります。
以前あたしは、このコラム連載のなかで 「大切な人を亡くし、受け止めきれないでいる」といった相談を受けたことがありました。
2021年の10月。この連載がはじまって、確かちょうど10本目の原稿。
自分の経験についてもお話しさせてもらいながら、「遺されたあたしたちにできるのは、精一杯生きることだと思う」と、そんなメッセージを相談者さんに送らせてもらったことをよく覚えています。
その掲載直後のことです。
三重県に住んでいる祖母が亡くなったと、あたしのところに連絡が来たのは。
突然でした。死因は、脳動脈瘤の破裂。
高齢だったとはいえ、ずっと元気だったおばあちゃん。震える母の声を受話器越しに聞きながら、涙を流すでも声を上げて驚くでもなく、ただ呆然とする自分が、その日そこにはいて……。
少し時間が経って、ようやく落ち着いたときにまずあたしが思ったのは、「どうしてもっと三重県に帰ったり、電話をしたりできなかったんだろう。おばあちゃんとの時間なんでもっと作ろうとしなかったんだろう」ということでした。
正直に言うと、仕事の関係もあって三重県に帰れるのは1年に1度あるかないか。電話も誕生日と敬老の日ぐらい。
それでいいと思っていた。いつでも会えると思っていた。悔いる気持ちは、ずっと消えていません。
小学校の頃、浴衣を着付けてもらって、そのまま花火を一緒に見に行ったり。
北海道に遊びに来てくれたときのモーニングビュッフェで、テーブルに置いてあった食品サンプルのレモンを間違って取ってきて、かじりつく姿に家族みんなで大笑いしたり。
あたしが遊びに来るとなれば、好きな日本酒をルンルンで用意して待っていてくれる、そんな優しくて可愛い、お茶目なおばあちゃん。もうその姿を二度と見れないということを、どこか受け止めきれていない自分が今でもいます。
そんな自分の経験と、重ね合わせていいのかはわからないのだけれど。
Y.Iさんがいま、天国の親友に対しておそらく抱いてらっしゃるであろう、自責の念にも似た感情。あたしには、どこか大事な部分が共鳴するところがあって、他人事とは思えず……。
今回のお手紙を読みながらあたしは、Y.Iさんの境遇を案ずるとともに、自分自身の祖母に対する想いにも気付かされ、どこかしんみりとした心持ちにもなっていたのでした。
さて、Y.Iさん。ここからは、勝手ながらもあなたに共感を覚えた人間として、あたしのひとりよがりの産物になってしまうかもしれませんが、エールを届けさせてください。
まず、はっきり言っておきたい。
あなたはちっとも、薄情者ではありません。
親友のことを考え、連絡が取れないことを少しでもおかしいと思い、行動に移している。
その時点で、あなたがその友人のことをどれだけ大事に思っていたのかは、あたしにもよく伝わってきます。
タイムラグはあったかもしれない。
連絡の頻度も、確かにもっと取れたのかもしれません。
そうした後悔がY.Iさんのこころから去っていくためには、しばらく時間もかかることでしょう。
でもねY.Iさん、ぜひあなたには事を逆に考えてみてほしい。
どういうことかって言うと、その後悔の存在自体が、その人を大切に思っていたという何よりの証拠なのではないかと、あたしは個人的にそう思うんです。
「こうもできたかもしれない」「こうしていたらあのとき一目会えたかも」。
誰かとの別れを経験した者が、ほぼ必ずといっていいほど抱くこうした気持ち。
それらは、相手への愛があってこそ出てくるもの。相手と一緒に生きた時間をきちんと、いとおしんでいるからこそ湧いてくる、尊くてあったかい感情なんじゃないかしら。
だから、今はきっと、むしろ後悔していい。
なんならあたしY.Iさんは、心のすみずみまでその親友のことをたどって、その存在を失った事実に対し、思いっきり悲しんでもいいんじゃないかなって思います。
2年前のコラムの中でも書いたんだけれど、やっぱり遺された者がすべきなのは、先に旅立った人の分まで、精一杯生きること。そして、大切な人との思い出を心に抱き、時にそこに痛みも感じながら、その別れを生へのエネルギーに変えていくこと。
そうしていくための準備のひとつとして、今Y.Iさんには自分の感情をむき出しにしてみてほしい。お友達との別離を「別離」として正面からとらえられるまで、一旦涙の海を泳ぐ時間をとってみてみることも、きっと必要だと思うんです。
悲しみきった後では、少しずつ前を向く余力が出てくるはず。
完全に気持ちが晴れるには時間がかかるかもしれないけれど、しっかり一歩一歩進んでいけるようにこころがチューニングされていれば、それでもう大丈夫。お友達の分まで、もうあなたは未来を拓いていけるでしょう。
同じような痛みを抱えた人間として、Y.Iさんにはぜひ明日に向かう気持ちを捨てずにいてほしい。
親友とともにこれからも、人生を「生きて」いってほしい。
全ての人に等しく訪れる「死」。だからこそ、その闇に取り込まれるのではなく、その別れが示し照らし出す「生」の輝きを忘れずにいたい。
そんな気持ちも抱きながらあたしは、Y.Iさんの背中を少しでも押せることができたならと、今回のコラムを書きながら切に願っていたのでした。
というわけで、今回は人生で誰しもが経験する 「死」という別離 について、あたしなりに考えてみました。
大切な人の笑顔を見られなくなってしまうのは辛いことだけれど、そこでずっとは立ち止まらないこと。それがいかに大事なのかを、年齢を重ねるたびに実感するようになってきたの。
自分自身、祖母のことはずっと引っかかっているのですが、そのこころのトゲみたいなものも少しずつ溶けていけばいいなぁと、今はそう願っています。
今日は、おばあちゃんがよく「これ好きでしょ?」と出してくれた、そばぼうろ(って知ってる?)がなんだか食べたい気分だわぁ。スーパーかどっかで探してこようかしらね!
ではでは皆さん、Sitakkeね〜!
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文:満島てる子
イラスト制作:VES
編集:ナベ子(Sitakke編集部)
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満島てる子:オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。LGBTパレードを主催する「 さっぽろレインボープライド」の実行委員を兼任。) 2021年7月よりWEBマガジン「Sitakke」にて読者参加型のお悩み相談コラム【てる子のお悩み相談ルーム】を連載中。
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