2022.06.23
暮らすクマの住む場所に通い続けて、今年で52年。その歴史の中で、クマによる人身事故を一度も起こしていないのが、「北海道大学ヒグマ研究グループ」・通称「北大クマ研」です。
ベテランの専門家集団ではなく、大学生がサークル活動として、ヒグマの研究をしています。毎年、クマの知識を一切持たない新入生を迎え入れながらも、事故ゼロの歴史をどう守ってきたのでしょうか?代々受け継がれてきた知恵から、身を守るための教訓を学びます。
【この記事の内容】
・事故ゼロの3つの理由
・3つの理由から見つけた、クマによる事故を防ぐために大切なこと
お話を聞いたのは、北海道大学の大学院に通う、伊藤泰幹(いとう・たいき)さんです。
東京生まれ・東京育ちで、北大に入学したときにはクマの知識はゼロ。特別クマに興味があるわけでもなく、山を歩くのが好きという理由でクマ研に。ヒグマの調査に携わるうちに、いつの間にか、大学院に進んでまでクマの研究に没頭することに…。
今では北大クマ研に入って7年目となった伊藤さんが、先輩たちから受け継がれてきた学びを教えてくれました。
北大クマ研は、1970年の創立から52年間、毎年クマの住む場所で長期間の調査を繰り返しています。クマによる人身事故ゼロの理由を尋ねると、伊藤さんがまず挙げたのが、「声を出している」ことでした。
「山に入るときや、やぶなど見通しの悪い場所の近くでは、必ず『ぽいぽーい』と声を出します。足跡など、クマの痕跡を見つけたときも声を出して、クマに自分たちの存在を伝えます」
大切なのは、クマに会ったらどうするかよりも、クマと出会わないためにどうするか。ほとんどのクマは、人に出会いたくないと思っていますが、バッタリ出会うことで、クマも驚いて身を守るために攻撃してくると言われています。
声を出すことで、クマに居所を伝え、お互いにとって不幸な「バッタリ」を避けるのです。
伊藤さんは、仲間と話しながら歩いたり、歌を歌ったりもするそう。クマの痕跡を見分けられる自信がない初心者や、つい夢中になってしまう山菜採りのときなどは、「クマ鈴」など、常に音が鳴るものがおすすめです。
次に、「必ず複数人で行動している」ことが、事故を防ぐ必須条件です。人数が多すぎても、はぐれる危険があるため、2~3人でチームを作るといいます。そのチームの作り方と、同時に入山しているチームごとの連携についても、しっかりとしたルールがあります。
「初心者同士で組まないように、『リーダー制度』という認定制度があります。何年生になったらリーダーになると決まっているわけではなくて、しっかりと試験に受かった人だけがリーダーとなり、チームを率います」
試験は、GPSを持たず、地図と方位磁石だけを頼りに、決められたルートを歩いて戻って来られるかを見極めます。後ろから先輩が見ていて、道を読み違えたり、クマの痕跡を見逃したりすると、不合格になる「厳しい試験」だそう。
たとえば山を歩いているとき、この写真の光景があったら、どう思いますか?
一見、みどりが広がっているだけに見えますが、草が地面に倒れています。これは、クマがこの植物「ミズバショウ」を食べた痕跡です。植物の食痕は、シカが食べた痕もとても似ているので、植物のどの部分を食べているのかや、食いちぎられた痕を見て、クマが食べた痕かを判断するそう。このミズバショウは、根っこの部分まで掘り出されており、何本もあたりに葉が散乱していたことから、クマの仕業だと判断したそうです。
クマの痕跡は、近くにクマがいるかもしれず、警戒が必要なサイン。地図と方位磁石を見て、かつ仲間とはぐれないように気を配りながら歩いていたら…気づけますか?植物の知識や、クマがどの季節にどんなものを好んで食べるのかも知っていなければ、見抜けない痕跡です。
試験は、仲間の命を預けられるかを見極める、厳しいもの。伊藤さんも一度は落第したといいます。その後、鍛錬を積んで2年生のうちに合格し、リーダーとなりました。
また、山に入る調査なので、クマだけでなく、もちろん遭難の危険もつきまといます。チーム内のメンバー配置だけでなく、チームどうしでの連携も、しっかりとしたルールのもとに成り立っています。
たくさんの時間を費やすのは、山に入る前の話し合い。細かいスケジュールを決めた上で、チームどうしと、札幌に残っているメンバーとも、連絡体制を確立しておきます。何時までに連絡がつかないチームがあった場合は、札幌の人は何をするか、どんな救援体制をとるか…など、場合分けでフローチャートとマニュアルを作るのです。
フローチャートとマニュアルは、全員が手帳に貼り付けて、当日も持ち歩きます。内容は毎年同じではなく、52年間の試行錯誤を蓄積してきたもの。その都度、前回の反省を振り返りながら、改良すべきところはないか、話し合いを重ねるといいます。
「昔のものを振り返ると、『2年生になったらチームを率いていい』など、今とは違うルールも多くあります。例えば、以前は、『入山時・下山時は必ず同時に入山しているチームや札幌の連絡係と連絡を取り合う』ことになっていましたが、僕がクマ研に入ってからルールを見直して、今ではそれに加えて『山にいる途中でも電波が入ったときには連絡する』ことにしました」
チームの中に「リーダー」を置くこと、必ず複数人で行動すること、そしてチームどうしや札幌との連携を確立すること…。そのグループ全体での体制は、遭難対策であると同時に、クマ対策でもあります。複数人で行動することでクマが人に気づきやすくなり、出会ってしまったとしても、最悪の事態を避けられる確率が上がります。
そして、「痕跡に敏感」であることも、事故ゼロの理由だといいます。
「常にクマの痕跡を探していて、見つけたときは、新しいものかどうかを見極めます。ついたばかりの痕跡があるときは、引き返して、クマに出会わないようにします」
伊藤さんは終始、はっきりと答えながらも、クマとの遭遇を100パーセント避けられるという自信は見せませんでした。
「クマ研に入る前は、クマについて知らなさすぎて、こわいとも思っていませんでした。でも山に入ってからこわさを知って、会ったらどうしよう、ちゃんと対応できるだろうかという不安は今もずっとあります。クマにいつ会ってもおかしくないという気概は、大切だと思っていますね」
伊藤さんは事故ゼロの理由を、「運がよかった」とも話していました。
「クマと会ってしまったことも過去にあるんです。たまたまお互い距離があるうちに気づいて、クマが立ち去ってくれただけです。そのたびに、『雨だったから音が聞こえづらかったし、クマも感覚が鈍ったのかもしれない。雨が降ってきたらより気を付けよう』など、反省をしています」
52年間の事故ゼロも、「運がよかっただけ」と、過剰な自信は持たずに、危険を意識し続ける…。クマ対策に「これさえすれば大丈夫」という万能薬はなく、52年間で関わってきたメンバーひとり一人の意識と努力が紡いできた記録だということが、わかりました。
1人1本必ず持ち歩く、クマスプレーも見せてくれました。これも、持っていれば安心というわけではなく、いざというときに正しく使えなければいけないもの。
クマ研に入ると、クマを見かけたらすぐに構えていつでもクマスプレーを噴射できるようにと、まず「3秒でクマスプレーのロックを外す」練習をするといいます。人にとっても危険物になりうるので、保管方法など注意点も事前にしっかり学びます。山に入るときは、カバンの中にはしまわず、すぐに手に取れる場所にくくりつけています。
事故ゼロの理由を話すとき、伊藤さんが何度も口にしたのは、「当たり前」という言葉でした。
「自分がクマ研に入ったときには、当たり前としてあったルールなんです。52年続いてきたルールを、組織として守ろうという意識が根付いています」
「山に入ることは危ないという意識が当たり前のようにあるから、対策をしっかり決めるんです」
当たり前に持ち続けてきた危機意識と、当たり前に守ってきたルールの積み重ねが、事故ゼロの理由です。
住宅地でも、クマへの不安が広がる時代。何をしていいかわからないという人への言葉を求めると、伊藤さんは苦笑しながら、「クマ研に入る前の自分を顧みると、クマ対策は『わからない』と思われていても当然だろうと思う」と話しました。
「クマ研に入ってから、痕跡を見分けられるようになり、クマのことをどんどん知りたくなって、ズルズルとここまで来ました。クマを知ることが大切なんだと思うんです。
クマも変わるし、人も変わります。今はインターネットでも、いろんなところで新しい情報が得られるから、クマって何かなって、知り続けていくことが大事だと思います」
北大クマ研が「知り続けてきた」記録には、私たちの暮らしに関わる、大きな発見が詰まっています。
北大クマ研は、1975年から北大の天塩研究林で、毎年同じルートで、ヒグマの痕跡調査を続けてきました。その約40年間の間には、北海道が「春グマ駆除」というクマの駆除を積極的に進める政策を行っていた時期と、クマが激減することを懸念して「保護」へと方針転換した時期が、どちらも含まれています。
北大クマ研の長年の記録は、「積極的な駆除」をしていた時期にクマが減り、「保護」へと舵を切った後、クマの個体数が回復していることを、裏付けるデータとなりました。約40年にわたって同じ地域でのクマの痕跡を調べ続けてきた事例は、世界でも稀。「人の政策」が「野生動物」に影響を及ぼすことを証明した、貴重なデータを、学生が積み重ねてきたのです。
野生動物の絶滅は、ほかの生態系にも大きな影響を及ぼします。一方で数が増えすぎると、人との問題も増えます。クマとの関係は「人」が左右するという北大クマ研の研究成果が、私たちの暮らしを今後どうしていきたいか、問いかけているのです。
毎年、それぞれの学生の興味に応じた調査も行われています。卒業後も研究の道などで活躍している人も。
伊藤さんに研究テーマを与えたのは、あるフンでした。
クマのフンの内容物を、消毒して保管しているものを、見せてくれました。手前の茶色いものと比べ、伊藤さんが手にしているものは、黄色い粒がたくさん入っています。飼料用のとうもろこし、「デントコーン」の粒です。
「人が育てたデントコーンです。このフンが、道路のコンクリート上にあるのを見つけたとき、うまく言語化できませんが、『なんで人の作物を食べるのかなぁ』『悲しいなぁ』など、複雑な思いがあって、心を動かされたんです」
人の住むエリアに入って食べることを覚えてしまったクマ。伊藤さんは、クマの生態だけに集中するのではなく、地域に根付き、「人」に着目した研究をする道を選びました。今は山林でのクマの調査を続けながらも、家庭菜園をまわって、人の話を聞く日々を送っています。
これからHBCでは、伊藤さんを始め、「クマと人」に関心を持つ学生とタッグを組んで、「クマとまちづくり」について調べ、対策を実践していくことにしました。その過程での気づきは、随時Sitakkeで配信していきますので、ぜひ、一緒に「知り続けて」行きましょう。
連載:クマさん、ここまでよ
文:Sitakke編集部IKU
2018年HBC入社、報道部に配属。その夏、島牧村の住宅地にクマが出没した騒動をきっかけに、クマを主軸に取材を続ける。去年夏、Sitakke編集部に異動。ニュースに詰まった「暮らしのヒント」にフォーカスした情報を中心に発信しています