2025.01.29
深めるそりゃさぁ、嫌にもなるよね、人生送っていくの。
だって、こちとらただ一生懸命生きてるだけなのに、自分が欲しいと望んでいる何か(しかしながら他人にとってはそんなに高級でもないらしい何か)には、いつまでも手が届かず。
なんなら時とタイミングによっては、今以上に状況が悪くなってしまったりもして。
そのせいで「何なのこれ……もう無理なんだけど……」と打ちのめされたとしても、その絶望とは関係なく、勝手に日々は続いていってしまう。
もうこれは「残酷」の一言でしょう。
きっと風花さんは、今その残酷な嵐のただなかにいるのよね。
あまりの暴風のせいで、おそらくとんでもなく傷ついているのだろうなぁと、お手紙の書き様からも想像しつつ。
果たしてあたしはあなたに、一体どういう言葉をかけることができるのか、かけるべきなのか、それをストーブの前にしゃがみこみながら「ううむ」とひとり考えていたりしたのでした。
さて、風花さん。
あなたのお悩みは「どうしよう」→「こうしてみれば?」的な単純なアンサーで、めでたしめでたし!なんて結論を与えられるような話ではないはずだと思うの。
何なら、こんなこと書くのは風花さんの傷に塩を塗るようで心苦しいけれど。
はっきり言ってしまえば、あなたの抱えている諸々の事情、様々な苦しみは、このコラムを読み終わった後も、きっと何をどうやってしても続いていってしまうはず。
厳しいながら、それが現実というもの。
だから、あたしとしてはせめて。
あなたがこれからも「生き続け」ていくうえで、少しでも支えになる何かをここで届けることができれば嬉しいなって、そう考えているの。
そのためにまずは、あたしが風花さんのように、自分ではどうしようもならないかなしみと直面したときに必ず読み返している、こちらの童話の紹介から始めさせてください。
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新美南吉(1935)「デンデンムシノ カナシミ」
「青空文庫HP」
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自分の内なる悲惨に気づいたでんでんむしが、それを他者に伝えようとする過程で、誰もが外殻からは慮る余地もないそれぞれの悲惨を抱えているんだと気づき、未来に歩み始める話。
「つらいのはお前だけじゃないってこと……?そんな当たり前のこと言われても」って、もしかしたら読んでいて思ったかもしれません(「それぞれの家庭にそれぞれの悩みがあると頭では理解」しているって、手紙の中にも書いてくれていたものね)。
でもね風花さん、あたしがこの童話から勇気をもらうのは、実は「みんな苦しい」っていうところではないの。
むしろね。
その事実にでんでんむしが気づくきっかけとなるのが、他のでんでんむしとの出会い、そして対話であるというところが、あたしは(作者の新美南吉の意図するところではないかもしれないけれど)とっても大事だと思っているし、個人的にも響くところなんだよね。
そう風花さん。あなたは今、自分のなかで大きく育った厭世の念のせいで、周囲の人間から距離を取りがちになってしまっているみたいだけれど。
そして、そのスタンス自体は、かつて似たような暗い念をこころの内側に抱えながら生きていた(今もそう生きているかもしれない)自分としては、根本から否定したいとかそういうことではなく、むしろ共感でもってその背を撫でてあげたいくらいなのだけれど。
でもね、どうやらわれわれ、"人"ってさ。
誰かと出会い、つながり、話す。そうした輪の中でこそようやく新しい歩みを見つけ、なんなら自らのことを癒すことができる生き物みたいなのよ。
アリストテレスは、人間は「社会的動物」であるだなんてのたまわったそうですが。
あたしは自身自分の歩みを振り返って、この一言には一理も二理もあるなぁって、そんな風に思うんだ(ゲイというアイデンティティをあまりに深い"ひずみ"として内面化することはないんだよと、そう教えてくれる人たちにこの札幌で出会えたこと、そのつながりが文字通り、僕を救ってくれたのです)。