2025.01.29

深める

「もう生きるのがつらい……」家族や家庭というものにずっと苦しめられてきて、限界です【お悩み】

は〜い皆さん、ごきげんよう!満島てる子です。

突然なんだけどさ、読者の方々は、自分ではコントロールできないことで苦しんだり、それが起因となって他人をうらやんだりしたことってあるかしら。あたしは割とあるのよ。

ライター・満島てる子

例えば自分は、みずから選んでゲイになったわけじゃなく、気がついたときには男の人が好きな男の子になっていて。
ただそれだけだったんだけれど、そのせい(って言い方もどうかしらとは思いつつ、一旦ね)で、周りが当たり前に経験し楽しんでいること(結婚とかね)から遠ざからざるを得ない瞬間が、思春期から大人になってからもしばしばあったんだよね。

自分の場合はだいぶ和らいだとはいえ、このタイプの傷ってどこか根深かったりするし、人によっては大人になってから突然発生•再発したりもするよね。
今回は、そうした苦しみを抱える方からのお手紙のようです。見てみましょう。

読者のお悩み:家族や家庭というものにずっと苦しめられてきて……もう限界。自分も人並みに生きたかっただけなのに。

なるほど。これは赤裸々なお手紙だわ。
風花さん、正直なメッセージを送ってくださって、まずはありがとう。

あなたにとっては、聞くのもしんどい単語かもしれないけれど……事をわかりやすく語る目的で、あえて使わせてもらうと(許してね)。
しばらく前に話題になっていた「親ガチャ」という言葉。そこにきっと風花さんは、なにがしかの思いを抱いたことのある人なんじゃないかしら。

親をガチャガチャにたとえるという語の成り立ちに、個人的には抵抗感を抱いたりもしつつ。
このワードが伝えるであろう「その人だけではどうしようもないのに、その生き方に大きな影響を与えてしまう事柄」というニュアンス。
そこには実感のこもった意味で、あたしも苦々しさを覚えていたりします。

人生において「自分ではどうしようもなく決まってしまう要素」について

このコラムのドあたまでも少し触れましたが、自分ではどうしようもなく決まってしまう要素というのが、人生にはあります。

生まれてくる国、育つことになった家庭の経済的・人間的な状況、ひとりひとりのセクシュアリティのあり方や、なんなら時代でさえもそうです。

否応なしに、おのれで舵取りをし切る隙なく決定されてしまうこれらの事情は、そんな一種、暴力的な決まり方をするにも関わらず、社会的な構造と照らし合わされることで、人々の間に時に決定的な格差を(なんなら差別までをも)生み出すことがあります。

そんな格差という"ひずみ"に吸い込まれ、厳しい環境を自分の居場所とせざるをえなくなった場合、その当事者の苦しみたるや、計り知れないものがある。
あたしはその事実を、冒頭でも例で挙げたように、自分の経験として直に受け取ってきました。

ごくありきたりのとか、ましてや「普通」などと言ったら確実に語弊があるんだけれど。
もし自分が、これまでおのれの周囲にいた大多数の男性のように、異性愛者の男性として生きていたのなら。そう想像することは、実は今でもあります。

胸の内を愛用のキーボードに託して…

周りと同じように、思春期になれば女の子に興味を持ち、恋の話を友達と包み隠さず気軽にして、みんなで盛り上がる。それが当たり前の日常を送りたかった。

不自然な重みや困難を抱えることなく、素敵な誰かと出会ってお付き合いを経たのち、堂々と結婚。そんな選択肢がそもそもある人生を歩みたかった。
自分のことを誤魔化すために故郷から距離を置く、そんな選択肢を取らなくても済む生き方がしたかった。

でも自分はゲイ。
シスヘテロの友人たちが送っている、風花さんの言葉を借りれば「羨ましい生活」には、なぜか手が届かないわけで。そして、それをどこか「仕方ない」とも考えていたりするわけで。

この30数年間は、正直そんな羨望と諦念が入り混じったものだった気がしています。
今回の風花さんとは、事の側面は異なれど、自分には与えられていない"幸せそうな普通さ"を見る目線は、共通している部分があるようにも感じました。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

この記事のキーワードはこちら

SNSでシェアする

  • X
  • facebook
  • line

編集部ひと押し

あなたへおすすめ

エリアで記事を探す

FOLLOW US

  • X