2024.11.23
深めるとまぁ突然、てる子の”心情大暴露大会!”みたいになってしまったけれど。笑
行動選択の傾向や、そのベースとなっている心理状況にしても、「僕」としては赤面ひつじさんに今回共感が止まりません。
だからこそここからは、少しでもこの相談の解決につながるような話を、文章できちんと残したいなと。
なので、物言いがいつものコラムと比べて、少しばかり強めなものになるかもしれないんだけれど、どうかご了承くださいね。
さて、赤面ひつじさん。
まずもってですが、あなたが今抱えているその赤面症。
もうご存知かもしれないけれど、ときに「社交不安障害」という疾患の、一種の症状として数えられることがあります。
だから、もーーし日常生活にとんでもない支障が生じていて、もう耐えられないという場合は、迷わず病院に相談するのがベスト。
認知行動療法をはじめとした適切な治療を、医師の指導のもと受けてください。
このお手紙を読んだとき、かつて心療内科のお世話になり助けられたことのある身としては、この選択肢を明示しておきたいなと最初に思いました。
こうあらかじめお伝えした上で、です。
あたしには赤面ひつじさんに、個人的にアドバイスとして贈りたいというか、言っておきたいことがあるの。それはね。
「他人はあなたが想像している以上に、あなたどころか誰も見てないし興味もないらしいから、どうか安心してね」という話なんです。
「何を荒唐無稽な」と思う人もいるかもしれません。もしかしたら「他者に対する信頼ゼロかよ」とお叱りの言葉までもらうかもしれない。
でもあたしは、この事実を知ってだいぶ楽に生きられるようになったの。
そしてそれを教えてくれたのは、ほかでもなくこの10年続けてきた、女装という自分のお仕事だったのよね。
ここで少しだけ「恥ずかしさ」というものについて考えてみましょう。これって実は、不思議な仕組みから成り立っている感情。
「見られたくない」という願いを伴う気持ちなわけですが、その願いはあくまで「見られている」前提があるからこそ発生します。
言ってしまえば「誰かは自分を見ているはずだ」という、そんな他者への期待が恥ずかしさの奥底にはあったりするわけです。
でも驚くほどに、人間は何も見ていない。
だってね、あたし本当にびっくりしたのよ。
新人時代、あがり症ながらに「やってやろうじゃねえか!」と開き直ってさ。
ど派手なメイクと衣装を身につけて、カウンターやステージで「さぁ見てくれ!」と言わんばかりのトークやパフォーマンス、自分なりに頑張って披露したところで。
よっぽど魂を震わせる何かでもなければ、あたしの言葉や挙動に目を向けてくれる人なんて、これっぽっちもいやしない。
むしろ、そんな人がいてくれたら奇跡だったの。それを身をもって知ったんです。
その瞬間から、あたしは他者の目線に基づく緊張というものから、距離を置けるようになっていきました。
残酷な話なんだけれど「誰かが見てくれている」という期待が、ステージという特殊な状況に限らず日常からしていかに甘いものかっていうのが身に沁みたというか。
なんならその期待って捨て去った方が楽なものなんだって、どんどん自覚させられていったんだよね。
そして、ひるがえって。
心を寄せて、自分が何をしようとしているのか汲み取ってくれる人の存在が、どれほど貴重か。
それを思うと、そんな出会いや眼差しのひとつひとつをむしろしっかり受けとめたいって、そんな気持ちにさせられたんです。
不思議な話だけれどもね。
だからね、赤面ひつじさん。
もしよければ、あなたにもぜひ割り切って考えてみてほしいの。
「嗚呼、自分の想像と違って、誰も自分のこと見てないじゃん。別に興味ないわよね!」って。
きっとそれがあなたに、自分のことも他人のことも「ありのまま受け入れ」るための、貴重な足掛かりを作ってくれるはずだから。
社会に適合できないことを、恥にも罪にも思わなくていい。
むしろ思ったより社会は、あなたのそうした意識に関わりがない。関わってくれるものじゃない。
だからこそ、あえて自由に生きてみてほしい。
すぐには無理かもしれません。
でもそんな意識を持つだけで、少しは「穏やかに生きて」いくことに近づくんじゃないかしら。
赤面ひつじさん。あなたが、いつか白いモフ毛だけのシンプルなひつじさんになれるよう。
遠く北海道の地から同じく緊張しいのひとりとして、これからもその行く末を応援していますよ!