2024.09.25
深めるとは言ったものの。
ぴょおさんの願いとは真逆のことを書くようだけれど、あたし正直な話、嫌な思い出を忘れることって、ほとんど不可能に近いんじゃないかしらって思っているの。
だってその思い出も含めて、その人の歩んできた歴史そのものであり、人生そのもの。
だとすれば、それを完全に「忘れる」あるいは「消す」ことって、おのれの生きてきた道を否定することに近しいわけで。
もし万が一ひょんなきっかけでそうできたとしても、その後その人のこころには、なんらかの歪みが生じたりするんじゃないかしらって、あたしは想像しちゃうのよ。
いいことも悪いこともひっくるめて、自分の経験してきたこと、そのすべてから自分自身という存在は構成されている。
だとすれば、距離の取り方は様々あれど、あたしたちは自分を作っているそのひとつひとつの記憶と、うまく付き合っていくより他にないんじゃないかって個人的には思うんです。
だからぴょおさん。本来求めていたテイストの回答とはちょっと異なるかもしれないけれど。
このコラムでは、あたしなりに普段から実践している記憶との「寄り添い方」(忘れ方ではなく)を、あなたにはお伝えさせていただこうと思うの。
お口に合うかはわからないけれど、どうかごめんくださいね。
で、なんだけどね。
あたしの考えでは、嫌な記憶に寄り添う一番の方法って、その記憶を"料理"して、できれば誰かと一緒に"消化"しちゃうことだと思うの。
あえて食べて、血肉にしちゃうというかね。
「どゆこと?」って思ったかもしれないわよね。笑
いや、具体的に言葉にしてしまえばすごくシンプルな手段なんけれど、ぴょおさんのその思い出、ぜひあえてほかの人に聞いてもらってみては?って。あたしはそう思うの。
しかも、話す際に単なる愚痴として語るのではなく、面白くて美味しい鉄板ネタにしてみるといいんじゃないかって。
これ、簡単にできることではないかもしれません。
そもそも自分の体験を面白おかしく語ることって難しいし、ぴょおさんのパターンは、まずもって記憶の内容が調理しがたい上級者向けの素材。
さっきご紹介したあたしの「面白エピソード」が、カプレーゼのような簡単な調理で間に合うものに例えられるとするなら、ローストビーフを仕込むぐらいには味付けに時間と手間ひまをかける必要がありそうですよね。
でもね。
材料の鮮度を確認したり火の通り具合を見るようにして、自分のトラウマに手を加えようとすると、「ああ、あの時の経験からこんな味わいも織りなせるんだ」と、段々と憎々しかった思い出からアクが抜けていき、その記憶が愛らしく思えてくるはず。
そして、ずっと味わってきた苦みを別のかたちにし、アウトプットして親しい人と一緒に楽しみながら咀嚼してしまえば、もうその思い出は嫌なものではなくなっているんじゃないかしら。
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