日本バドミントン界の歴史を変えたワタガシペア。
オリンピック2大会連続でメダルを獲得しました。
東野有紗選手は、岩見沢市出身。
コートに倒れこんだ東野選手とともにパリで涙を流したのは、母・洋美さんでした。
小学1年生で競技を始めた東野選手。
性格は、とにかく負けず嫌い。
年上の男子選手と一緒にその技術を磨いてきました。
徐々に頭角を現すと、中学からは北海道外のバドミントン強豪校に進みます。
父と兄は北海道岩見沢市に残り、母と娘は2人で福島へ。
家族離れ離れの生活の中、夢への道のりを支え続けてきたのが洋美さんでした。
東野選手は、そんな母への思いをこう話していました。
「母は自分の好きなことを何もせず、私のわがままや迷惑につきあってくれた。金メダルを首にかけてあげられるように頑張りたい」
そして、母への恩返しを胸に、パリオリンピック・準決勝のコートへ。
洋美さんは「勇大!有紗!」と声の限り応援します。
ただ、結果は敗戦。
「有紗から『ごめん』と連絡がきて。『謝る必要ないよ、ここにつれてきてくれただけで十分』と連絡しました」
そしてパリオリンピック最後の一戦へ。
「大丈夫よ!メダル取るよ!」
会場の洋美さんだけでなく地元・岩見沢市からは兄・聖也さんが背中を押します。
ミスをしても東野選手には笑顔が。
家族と共に最後まで全力で戦います。
そして、つかんだ銅メダル。
兄・聖也さんは「誇りです、おめでとうとお疲れ様と伝えたい」と話しました。
試合のあと、東野選手はインタビューの場でこう話しました。
「勇大君には一番感謝を伝えたいですが、お母さんにも伝えたい。声が聞こえてすごく嬉しかった」
「3位決定戦の前にお母さんと電話して、『2人で楽しんできてくれることが自分の一番の幸せだから』と言ってくれて本当に嬉しかったし、準決勝は楽しめていなかったので最後思いきって頑張ろうとお母さんのおかげで背中を押してもらった」
笑顔で、楽しんで、オリンピックのコートにたった娘に、母・洋美さんも感謝を伝えました。
「何とか頑張って楽しんでやれるか心配だったがとってもとっても楽しんで試合をしていた。実際にこの目でパリで応援できてすぐに『勝ったよ』ときてくれてまたすぐにメダルをかけにきてくれた。オリンピックで勝ったなという気持ちを味わえたパリ五輪でした。2大会連続銅メダルとってくれてありがとう」
東京オリンピックではかなわなかった、会場での応援。
そこで輝き、楽しみ、そして勝ってつかんだメダルにこれまでの家族の歩みが詰まっています。
文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あい
※掲載の内容は「今日ドキッ!」放送時(2024年8月5日)の情報に基づきます。
■食べっぷりが話題!総フォロワー数45万超え・北海道発【ぼっち食べ歩き】動画で人気の「るいさん」の素顔とは?