北海道の人口は多くの市町村から札幌市への一極集中が続いています。岩内町もその一つで、人口が減っています。
こうした流れを受けて、町内の4つの小中学校は1校に統合され、2年後の2026年4月から9年制の義務教育学校となることが決まっています。そして4つの小中学校の校歌はなくなります。
消えゆく校歌の一つ、岩内西小学校の校歌は1951年(昭和26年)に作られました。当時は町がスケトウダラ漁で栄え戦後の復興が始まった頃で、商工会議所が町に創られた年でもありました。
作詞は日本芸術院会員にも選ばれた俳人・荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい)で、作曲は童謡からクラシックまで幅広いジャンルの作曲を手掛けた団伊玖磨(だん・いくま)です。カレーの日のイベントで、成田さんが紹介した童謡「ぞうさん」のメロディも作った作曲家です。
著名な団伊玖磨が岩内西小学校の校歌を作曲したのは、なぜか?詳細はわかっていませんが、アスパラガスの研究と生産を日本で初めて手掛けた岩内町出身の農学者・下田喜久三(しもだ・きくぞう)が三井財閥の総帥だった団琢磨(だん・たくま)と親しく、その縁で琢磨の孫の伊玖磨が作曲に関わったのではないかという見方があります。
岩内西小学校にはかつて、歌手の中島みゆきさんも在籍していました。きっとこの校歌を歌ったことでしょう。
□作詞:荻原井泉水/作曲:団伊玖磨
1.岩内山は 雪の日も 若葉したたる 夏の日も
朝はかがやく 太陽の 高い心 もちましょう もちましょう
2.岩内町は 港町 浪立つ海の ふところに
夕べはともる 灯台の 明るい もちましょう もちましょう
3.日本海は まっさおに はばたく翼 まっしろに
すがた逞(たくま)し かもめどり 舞い立つ心 もちましょう もちましょう
「あら~、きれいな顔しているね~」
「これ、出すの大変なんだわ」
「うちはもう、おひなさんとお内裏さんだけ…ここ何年も」
「やっぱり段飾りはいいね」
校歌が歌われた3月4日、帰厚院にはひな人形も飾られていました。これらの中には檀家から寄進されたものもあり、参加した人たちが、段飾りされた人形の顔を一つ一つ眺めながらおしゃべりをしていました。
(成田さん)
「人口が減って、檀家さんも札幌や本州へ散らばってゆく流れなんですけど、地元の人が、おじいちゃんやおばあちゃんや子どもたちが何気ない会話を交わして、笑い合ってくれる姿が好きなんです」
「きょうも高桑さんというおじいちゃんが初めて来てくれたんですが、事前に電話をいただいていたんです。『俺みたいなもんでも、行ってもいいのかい?』って。『もちろん、どうぞどうぞ!』とお話して来ていただきました。去る人、来る人、様々ですね」
3月20日はお彼岸の中日でした。
帰厚院では、冬の間、閉められていた本堂の正面玄関が開き、春彼岸法要とおとき(食事会)が行われて、檀家が久しぶりに集いました。
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お寺さんが日常から遠い存在になって久しくなります。“葬式仏教”と揶揄(やゆ)される時代に檀家離れや墓仕舞いが進んでいます。そうした中、「カレーライス」を誰彼なく一緒に食べて、高齢者も子どももお父さんもお母さんも同じ時間を過ごすことで、その存在意義を問うお寺があります。
お寺は怖いところなのか?葬式の時にしか行かなくなってしまったところなのか?そもそもお寺の役割は何か?北海道の人口1万人余りの小さな町で、ある寺院が試みる地域のつながりを考えます。
*この連載は、帰厚院の催事や活動に合わせて、今後も不定期で出版してゆきます。
◇文・写真: HBC油谷弘洋