今回の『老ナルキソス』長編版は、コミカルともシリアスとも言い切れない独特の雰囲気をまとっています。
あたしは最初この作品を観た時に、正直に言って「痛い!!痛々しい!!」という感想を抱きました(勘違いされないように伝えておくと、映画としての素晴らしさは折り紙付きです笑)。
ゲイ風俗で働くキャストのレオにベタ惚れしてしまう老絵本作家、山崎。
こう表現するだけでもすでに痛々しいわけですが、彼の危なっかしさはそこにとどまりません。
自身のアイデンティティを保つための手段というか、ほぼ「さが」としてSMに興じる主人公、山崎。あまりの偏屈っぷりに目をつぶってしまいそうにもなりました。
飲み屋であれ交流会であれ、場所や環境を問わずやってしまう、同世代の老ゲイたちに対する強めのマウント取り。
医者や編集担当といった、自分の人生を支える人たちに吐きまくってしまう、甘えの裏返しのような毒。
そして、ゲイとしての自分/男としての自分を保っていくために、ずっと大きな自己愛を人生の軸にしていたからこそ、老いさらばえてからのおのれの姿を見るたび感じざるをえなくなってしまった、ナルシシズムの延長としての失望と絶望。
あまりにところどころ痛々しいために、思わずスクリーンから「ひいっ」と目を逸らしたくなってしまうシーンもあったりしたのですが、にも関わらずあたしは「自分の中にも山崎がいるかもしれない」と異常な生々しさを感じ、そのキャラクター性やふるまいに引き込まれてしまいました。
東海林監督は、山崎という人物について、以下のように語ります。
「山崎というキャラクターは、特定の誰かではないのですが、実際会ったことある何人かの方を混ぜ合わせてモデルにしたりはしました。映画に出てくるご年配の人って、良いおじいちゃんおばあちゃんとして描かれがちですけれど、老け専(高齢層がタイプであることを言い表すゲイ用語)の僕としては『いや実際そんなことないじゃん』って思うんですよ。みんなやらしいし、すけべだし、人によってはろくでもない。時に『なんでこうなっちゃったかな』って思うぐらい困った方だっている。そういうところも、ゲイ映画として描きたいなと思ったんです。『それでいいじゃないか』って」
主演の田村さんと東海林監督。全国で上映会が行われ、トークイベントには多くの人が足を運びました。
山崎の役を演じた田村泰二郎さんは、今回が映画初主演。
もともと踊り手として活動していたという田村さんの演技は、その所作だけでなく、老人としての身体性という意味でも、非常に説得力があるものでした。
東海林監督にとっても、田村さんという人物のキャスティングは、『老ナルキソス』という作品にとって欠かせないものであったそう。
「田村さんはずっと舞踏をやられていた方で、ご自身の肉体でずっと勝負されてきた。なのでやっぱり、実際のご年齢も70を超えてらっしゃるんですけれど、裸になってもやっぱりその身体に漂う緊張感というか、そういうものがやっぱりあるんです。あと、レオ役の水石亜飛夢くんともなんだか雰囲気が似ている。何考えてるかわからない感というか、周りに流されそう感というか(笑)。そこも含め、なんかいいコンビだなぁと思っていたんですよね」
他にも、山崎の元恋人役の村井國夫さん、山崎の友人でバーの店長役の日出郎さんはじめ、素晴らしい演じ手たちが続々と登場。
彼らが織りなす銀幕上のいろどりが、そこにひとつのストーリーを超えた「リアル」までをも構成しているように思います。
今回紹介している東海林毅監督の作品、映画『老ナルキソス』長編版は、現在DVD & バリアフリー版制作のためのクラウドファンディングに挑戦中。
※期限は1月31日(水)まで。
リターンですが、DVDはもちろん、非売品のステッカーや、貴重な台本が手に入るコースなども。出演者からのメッセージムービーも、クラファン特設サイト内にて見ることができます。ちなみに、短編版は各種動画サイトで現在配信中。こちらもぜひ!
⇒50歳差のゲイカップル。二人の“交流”から浮かびあがるものとは…「老い」を考える【後編】
続く後編では、映画の具体的なシーンにもフォーカスを当てながら、引き続き東海林監督に「老い」や「LGBTQ」といったテーマについてお聞きしていきます。
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文:満島てる子
編集:Sitakke編集部 ナベ子
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満島てる子:オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。LGBTパレードを主催する「 さっぽろレインボープライド」の実行委員を兼任。 2021年7月よりWEBマガジン「Sitakke」にて読者参加型のお悩み相談コラム【てる子のお悩み相談ルーム】を連載中。お悩みは随時募集しています。