2023.12.26

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大通公園にジャガイモ畑…「平和であってほしい」背景にあった「戦争」の姿とは

太平洋戦争時に…市内の公園あちこちで

今から82年前の1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まりました。

奇襲攻撃に成功した日本軍でしたが、その後は度重なる敗戦で形勢は逆転、

1945年8月15日、およそ310万人の死者を出し、日本は戦争に敗れました。

実はこの戦争による食糧難で、大通公園が畑として使われていたのです。

今回の依頼人・森田順子さんは実際に畑を耕したという

依頼人の森田順子さん(88)は、「学校にクワを持って行って、授業が終わったらクワで土を掘って、ジャガイモを植えた」と証言します。

森田さんは戦争中、大通公園の近くにある小学校に通っており、当時10歳の小学4年生でした。

1945年当時の森田さん

「だけど8月15日は、まだジャガイモは実らないでしょ。それがどこに行っちゃったのか…戦争が終わって、ごちゃごちゃになっちゃったでしょ」

終戦時、手稲に疎開していた森田さんは実ったはずの作物の行方を知りませんでした。

そこで、昔の写真や資料を保管している札幌市公文書館で調べてみると…ありました!

1944年の大通公園7丁目(北海道新聞社撮影)

確かに1944年の大通公園で、畑を耕しています。

そこで、この写真に写っている人物を探し出し連絡してみても、経過はわからないとの答え…。

そこで戦時中のことをよく知る人物を訪ねました。

太平洋戦争を経験した浦田久さん(94)です。

「畑は大通公園だけでなく、中島公園や円山公園だとか、カボチャやジャガイモを植えていた」

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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