そんな日々の中の、家でも、学校でもない。身近な人からの支え。
二本松さんに温かく接してくれたのは、「バイト先のおばちゃんたち」だったといいます。

「一緒に働いていたおばちゃんたちが、僕のためにおにぎりを作ってきてくれたり、『学校行きなさい!』って気にかけてくれたんですよね」

困っているときや、つらいときこそ、自分が助けを必要としていることに気づけない。
この当時の二本松さんはそんな状況だったのかもしれません。

そんなとき、困っていることに気づいて助けてくれる人がいたこと、家や学校とは違う居場所があったことが、二本松さんの支えになったのかもしれないと、お話を聞いて感じました。

北海道での子ども食堂の始まり

大学では親元から離れ、自由な場所でいろいろな福祉の分野を学びたいと、札幌の大学に入学。

大学2年生の頃から、大学を通して知った学習支援活動などに参加するようになりました。
札幌市が行っている、生活保護世帯などの中学生を対象にした学習支援です。サポーターは大学生が中心で、二本松さんもその一人だったそうです。

その後、大学4年生のときに、自ら子ども食堂を立ち上げたといいます。
当時、地域貢献を考えるゼミに所属していて、ゼミの活動として提案したところ、先生たちも応援してくれたそうです。

当時の活動の様子(二本松さん提供)

今でこそ「子ども食堂」はニュースなどでよく聞く言葉になりましたが、当時は北海道には「子ども食堂」という名前で活動している場所はなかったといいます。
東京から「子ども食堂」が広がり始めた時期で、二本松さんは「やってみたい!」の勢いのままに始めました。

「結果、30人くらい来てくれました。ゼミの有志の学生で週一回の子ども食堂の運営を続けていました。後輩に引継ぎをして、3世代続きました」

当時の活動の様子(二本松さん提供)

実際に自分で子ども食堂を運営していく中で、二本松さんの中には、ある疑問が生まれました。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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