中学卒業後、時計職人の道へ進んだ、中下さん。
お弁当屋「日信」が誕生したきっかけは、当時29歳だった中下さんが、たまたま弁当屋を訪れたことに由来します。
時計の営業のため、弁当屋を訪れたところ、店の経営者から「お金を貸してほしい」と言われた中下さん。
中下さんは、時計職人の仕事で貯めた”50万円”を、弁当屋に貸しました。
すると、2か月後。 中下さんに、弁当屋から電話がありました。
弁当屋の経営者「実は、返せなくなりました」
会長 中下さん「びっくりしたよ!自分の全財産だからね」
お金を貸していた、弁当屋が倒産。
しかし…
弁当屋の経営者「借金は返せない代わりに、弁当屋の権利を譲りたい」
そう言われ、やむを得ず、弁当屋を引き継ぐことに。
開業当時は、お店でご飯だけを炊いて、おかずは市場などで調達。それを弁当容器に詰めては、オフィスを巡って販売していました。
会長 中下さん「最初は売れない…50万円の元を取ったらやめようと思っていた」
しかし、徐々にパートさんとアイディアを出し合い、商品づくりに取り組んだことで、(地域の人たちに)信用されるようになったといいます。
ロングセラーとなった「とりめし」も、パートさんと共に作り上げた商品。
会長 中下さん「家庭の主婦たちだから、好きなようにやってごらんと…『味付けご飯はこうやってやるんだよ』と、窯で炊いたらすごくおいしかった。」
会長 中下さん「よし、これなら弁当屋を本業にしてやろうと思った」
家庭の味を取り入れたことで、おいしいお弁当が誕生。 お客さんからの評判を得て、今ではおよそ450名の従業員を抱える会社に成長しました。
常連客「10年前くらいから(とりめしを)50個以上は食べている」
「日信の従業員が、前向きに一生懸命やってくれている。(地域の人たちに)愛されると思ってもいいんじゃないかな」
「日信という社名は『毎日信用される』、『毎日を信じていこう』という気持ちで名付けた。これからも、”365日飽きない味”をつくっていかなきゃだめだね」
中下さんは、こう笑顔で話してくれました。
※掲載の内容は番組放送時(2023年11月2日)の情報に基づきます。