2023.09.02

深める

モロッコと清龍…異国で生まれ育ったある日本人の場合・その1「思い出したくもない過去」【連載】星のまなびや~札幌発・夜間中学校に集う人々(1)

なぜ学ぶのか?なぜ学ぶことができなかったのか?

校舎と二宮金次郎像

札幌の繁華街、すすきのにネオンが灯る頃、その学舎(まなびや)に人々が通学して来ます。札幌市立星友館中学校は、すすきのに隣接する一角に、去年4月開校した北海道で唯一の公立夜間中学校です。高齢者、不登校経験者、外国出身者…通うべき時期に中学校へ行くことができなかった人たちが在籍しています。
10代から80代までの多様な老若男女が、中には過酷な体験をした人が、夜の帳(とばり)の降りた校舎に机を並べています。

なぜ学ぶのでしょうか?なぜ学ぶことができなかったのでしょうか?何を求めて集うのでしょうか?
星空の下、学び直しをする人々のそれぞれの事情と姿をお伝えします。

⇒プロローグ:開校2年目の夏…札幌市立星友館(せいゆうかん)中学校【連載】星のまなびや~札幌発・夜間中学校に集う人々

エピソード(1)は、モロッコと清龍~異国で生まれ育ったある日本人の場合・その1「思い出したくもない過去」 です。

「私はいわゆる宗教2世です」

大塚清龍さん(20歳)

こんなに数奇な人生があるのだろうか…。その青年を前にして、私はまだ興奮が冷めないまま筆を執っています。

大塚清龍(おおつか・せいりゅう)さんは20歳の男性で、星友館中学校には今年5月に入学したばかりの1年生です。大塚さんの奇跡の一端は、本人が「思い出したくもない」と話すわずか8か月前までの日々です。

今年1月に初めて来日するまでは、Z(仮名)という名前で、アフリカのモロッコで暮らしていました。出生地は中東のアラブ首長国連邦(UAE)で、モロッコ人の父と日本人の母の長男として生まれ、その後、イギリス、モロッコ、再びイギリス、再びモロッコへと移り住んで来ました。

モロッコにいた頃の大塚さん

「私はいわゆる宗教2世です」と流ちょうな日本語で話し始めた顔つきには、柔らかい表情を必死につくろうとする様子が伺えます。父はある宗教の厳格な信者で、彼は14歳になるまでその宗教の戒律に基いて、社会から隔絶されたような暮らしを余儀なくされていました。

例えば、学校に通うことも、音楽を聴くことも、異性と話すことも禁じられ、自宅からの外出も、父の許可なくすることはかないませんでした。そして14歳になる年、「精神に異常をきたし、自分を支えることができなくなった(本人談)」そうです。その時、両親は息子を医師の下に連れて行くのではなく、呪術師を呼んで“悪魔払い”をさせ、回復を期しました。しかし効果はなく、挙句の末、彼は「うそつき呼ばわりをされ(本人談)」て家を追い出されました。しばらくは知人や友人の家に身を寄せましたが、長く居ることもできず、モロッコの路上でホームレスとなりました。

ホームレスへの転落

(イメージ)

同じような境遇の人を真似て非合法に食べ物を得ることもありましたが、そもそも彼はモロッコ語を話すことができません。家を出されるまでは、日本人の母が話す日本語で育ち、父は家では英語しか話さない環境だったためです。彼がいかに外の世界と交わっていなかったかということの証左でもありました。

彼自身は日本人と自覚して育ちましたが、モロッコの路上で暮らすようになると、周りから「お前はモロッコ人だ」と言われ、頭は混乱し、行き場のない怒りにさいなまれ、やがてその思いは日本への強烈な思慕の念に変わって行きました。

(イメージ)

しかしホームレスの現状からどうやって抜け出し、行ったこともない日本へどうしたら行けるのか…。
そこから彼はあらゆる手段を取り始めます。そしてもう一つの奇跡とも言うべき出会いが訪れ、細い細い糸を手繰るようにして来日を果たすことになります。

*注1)札幌市立星友館中学校は、入学を随時受け付けています。9月から12月までの間に受け付けの場合は来年4月入学となり、来年1月から8月までの間に受け付けの場合は来年5月から10月までの間の入学となります。詳細は同校へお問い合わせください。

◇文: HBC・油谷弘洋

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

この記事のキーワードはこちら

SNSでシェアする

  • X
  • facebook
  • line

編集部ひと押し

あなたへおすすめ

エリアで記事を探す

FOLLOW US

  • X