2023.08.20
深める8月15日は終戦の日。
戦後、アメリカに渡った旧日本兵の日の丸を遺族の元に返す取り組みを続ける男性に密着しました。
連載「じぶんごとニュース」
札幌市で内装業を営む、工藤公督さん・48歳。
工藤さんには職人のほかに、もう一つの顔があります。
「兵士の名前があって、ここに署名された方々と、あといろいろな文言があるでしょう。こういったものを読んで大まかな時代というのを特定するまではいかないけど、想像するというか」
調べているのは、寄せ書きの書かれた「日の丸」。
太平洋戦争で戦死した旧日本兵が身に着けていたのを、アメリカ兵が「戦利品」として持ち帰ったものです。
工藤さんは、この寄せ書きの日の丸を遺族の元に返す活動をしているアメリカのNPO法人「OBONソサエティ」の日本人スタッフです。
OBONソサエティが、アメリカの退役軍人やその家族から預かった日の丸はおよそ2500枚。
工藤さんは旗に書かれた文字を手掛かりに日本全国を飛びまわって、遺族を探し出し遺品の返還を続けてきました。
この日も、ようやく見つけ出した遺族に電話をかけます。
「私ですね、OBONソサエティの工藤というものなんですけど、非常に大事なことなので伝えていただきたいんですけど…」
しかし、警戒されて電話を切られてしまいました。
「こんなのは断られたうちには入らない。僕の中では。踏まなくてはいけない段階」
この夏、工藤さんは北海道出身の3人の旧日本兵の遺族を探し出し、日の丸を返還しました。
3人はいずれも旧日本軍の同じ部隊に所属し、沖縄で戦死しました。
日米合わせておよそ20万人が亡くなった沖縄戦。
道内出身戦没者は1万人を超え、都道府県別では沖縄県に次いで多い死者数です。
これまでに見つかったおよそ18万8000柱の遺骨のうち、DNA鑑定で身元が特定されたのはわずか6人です。
7月25日、工藤さんが向かったのは北海道南部の松前町。
留萌市出身の鈴木秀二さんの遺族が住んでいます。
工藤さんは、「鈴木秀二さんが出征したとおぼしき留萌市まで行きまして、足跡をたどっていろいろと歩き回る。墓地まで行ってですね、鈴木家の墓をずっと巡ったりだとか」と話します。
翌日の返還式を前に、およそ3年かけてたどり着きました。
鈴木一弘さん87歳。戦死した秀二さんの長男です。
「何言ってるか初めはわからなかったけど。ちゃんと聞いて『ああ、おやじが来るんだな』と思って。なんかほっとしたというか」
38歳で戦死した父の手がかりを探して、これまで何度も沖縄を訪れましたが、遺骨や遺品は見つけられませんでした。
秀二さんの日の丸を持ち帰ったのは、元アメリカ陸軍のエイドリアン・リンジー大佐。
その孫にあたるジョージ・ヘルムスタッターさんが、旗の持つ意味を知り、2020年に遺族への返還を申し出ました。
工藤さんは、「戦後78年という時期は、戦争で戦った方々が、もう亡くなられてる世代なんですよ。それを受け継がれた息子さんであったり、お孫さん世代が調べて、やはり返還しなくてはいけないということで、コンタクトを取られるケースが多いです」と話します。
ヘルムスタッターさんは、返還の想いをつづったメッセージを届けました。
「私が子どものころ、祖父がこの日本の旗を保管していた場所を知っていました。それはとても個人的で特別なものでした。それらを正当な所有者に返すことが出来て光栄です」
一弘さんに「明日、旗が見れると知ってどんな気持ちですか?」と尋ねると、「ドキドキしてる。出征のときは一緒にいたんだけど、旗を持ったこともないし。ただついて歩いていただけだから」と話します。
探し続けてきた父の遺品が、ようやく返ってきます。
返還式。
「寝たんだか、寝てないんだかわかんねえ」と、少し緊張した面持ちで迎えました。
ついに、寄せ書きの日の丸が戻って来ました。
およそ80年前の出征の日。最後に見た父が持っていた日の丸。
一弘さんは、「安心した。おやじのもの何ももらったことねえもん。うれしいっていうか、あと何も言うことねえ」と話します。
工藤さんが「手にした瞬間、お父さんのお名前を見た瞬間、ドキっとしますよね」と語りかけると、「涙がツーって落ちるかと思った」と話していました。
工藤さんは、「この瞬間ですよね。本当に手にしてよかったという思いがあふれる瞬間。僕の中ではもうこの瞬間」と話します。
8月10日、北海道北部の苫前町に、工藤さんの姿がありました。
鈴木秀二さんと同じ部隊で戦死した、加藤馨さんの日の丸の返還式です。
2つの国を繋ぐ。工藤さんの活動は、これからも続きます。
連載「じぶんごとニュース」
文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部IKU
※掲載の内容は「今日ドキッ!」放送時(2023年8月15日)の情報に基づきます。
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