昭和・平成では当たり前だった事が、令和を生きる若者にとっては“驚き”に変わっています。
HBCテレビ「今日ドキッ!」が注目したのは、昭和&平成時代の”北海道の夏の行楽”。
昔の行楽は今とは、一味も二味もちがう! 昭和や平成の光景を、令和の若者たち=”令和さん”が見たら、どんな反応をするのでしょうか…?
1960年の銭函海水浴場の様子。 泳ぎを楽しむ人たちの中に不思議な光景が写っていました。
「令和」さんは…
組体操?ピサの斜塔?という声が…
これは一体何でしょうか?
親の代から海の家を経営する鎌田さんに映像を見てもらうと…
その名も「飛び込み台」。
木で組んだ櫓を遊具として設置していました。
令和の現代、飛び込み台があった場所には波消しブロックが積まれていました。
無くなった理由は「危険だから」だそうです。
令和さんは…
髪型が崩れそう。やりたくない。という声があがりました。
当時の銭函では、飛行機が低空で飛ぶ様子も残っていました。
海の家の鎌田さんに聞くと、ビラを配っていたのではないかと言います。
低く飛んでいた理由は定かではありませんが、当時から航空法で定められた安全基準があり、特別な許可を得た場合以外、このように飛ぶことはできません。
ビーチでは馬が歩いています。
デコボコになった砂浜を馬の力を借りて平らに整え、歩きやすくしていたのです。
令和ではブルドーザーや人の手で整地をしています。
1985年の小樽ドリームビーチ。
多くの人が賑わっている中で、今とは少し違う光景が…
当時の必需品は、このカラフルなパラソル!
現代の日差し除けといえば、ワンタッチテントが主流になりました。
たくさんの人で賑わっているのは昔、中島公園にあった遊園地。
現在のコンサートホールキタラがある場所に「子供の国」という遊園地がありました。
令和さんは…
公園に遊園地?楽しそう…という声が。
1965年の中島公園内の池です。
手漕ぎボートを漕ぐ人たちの横で一風変わったお楽しみがあります。
ウォーターシュートと呼ばれる乗り物で池に向かって坂を滑り降り、水しぶきを上げて着水します。
その後、中島子供の国にあった遊具は円山動物園に移されます。
しかし、2010年には閉園。
令和の今では札幌の街中から遊園地がなくなりました。
1971年、真夏の旭岳です。
夏山を散策する人たちの横では、スキーを楽しむ人の姿が。
令和さん、コレ知ってますか?
なぜ裸?転んだら冷たそうという声が…
令和の今、旭岳では夏のスキーはできません。
5月のGWまでは可能ですが、それ以降は残雪があっても貴重な高山植物を保護する観点からスキーの持ち込みは禁止になっています。
夏の行楽といえばドライブが定番です。
目的地に辿りつくために欠かせなかったものが…地図が本になった道路マップ。
令和の現代では、カーナビで現在地と目的地を結ぶ最短ルートが表示されますが、昔は助手席の人が道路マップを見ながら道案内をします。
うまく地図を読めないと、運転手はイライラしがちに。
令和さんは…
カーナビのありがたみを感じていました。
とはいえ、令和の現代でも広範囲を一度に見渡せる道路マップの需要はあります。
細部の道も網羅されているので、う回路を正確に判断することができます。
夏と言えば、天井から垂れ下がっている、こちらも至る所でよく目にしました。
令和さん、コレ知ってますか?
何に使うかわからないという声が多数…
こちらは「ハエ取りリボン」。
ぶら下がっているモノに止まるハエの習性を利用し、表面についた粘着剤の力で、動けなくします。
ハエ取りリボンは、1923年創業の「カモ井加工紙」という会社が1930年に天井吊り下げ式の「リボンハイトリ」を開発し大ヒットさせました。
現在も需要があり、売れ続けている商品です。
その会社が、2020年に新たなハエ取りリボンを開発!
デザインがかわいくなりました。
令和を生きる若者たちからも「かわいい」と好評。
なぜこのような発想に至ったかというと…
実は、カモ井加工紙は「マスキングテープ」をヒットさせた会社!
以前は工業用として生産していたマスキングテープの価値に気が付き、文具として使えるデザインに変更。
そのデザイン力を「ハエ取りリボン」にも注ぎました。
※掲載の内容は番組放送時(2023年7月17日)の情報に基づきます。