2023.07.16

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「芸術、人生、そして"愛"とは何か?」 偉大な音楽家、バイセクシャル、情熱に生きた人…『親愛なるレニー』を読み解く【著者取材②】

皆さんこんにちは。満島てる子です。
この7月で立ち上げから2年を迎えたSitakke。あたしもこれまでお悩み相談を中心に、様々なテーマの記事をこのWebサイトに掲載させてもらってきました。

ライター・満島てる子

北海道ではまだ1ヶ月先ですが、本州ではベガとアルタイルの邂逅を「七夕」として祝うこの月。実はあたしにも素敵な出会いが(あ、殿方とのロマンスって意味じゃないわよ。どこにいるのかしら、あたしの牽牛星……涙)。

2022年の10月。とある1冊の本がこの世に送り出されました。アルテスパブリッシング『親愛なるレニー レナード•バーンスタインと戦後日本の物語』は、ミュージック・ペンクラブ音楽賞、日本エッセイスト・クラブ賞、河合隼雄物語賞を受賞。

『親愛なるレニー レナード•バーンスタインと戦後日本の物語』(著者:ハワイ大学教授・吉原真里さん)

この作品は、芸術にも人にも惜しみない愛を注いだ音楽会の巨匠、バーンスタインの人生を追ったノンフィクションです。あたしはこの本を読んだとき、久しぶりに”ときめき”とでも言うべき感覚を覚えました。

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ミュージカル「ウェストサイド物語」や、戯曲「キャンディード」で有名な、偉大な音楽家であるバーンスタイン(1918年〜1990年)。日本の音楽シーンにも多大な影響を与えた彼は、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の立ち上げにも関わるなど、北海道の文化芸術の発展にも貢献したひとりです。

その彼は、実はとある日本人たちと長きにわたり、深い交流を続けていました。

「日本でおそらく最初の、そしてもっとも熱心なファン」、天野和子さん。
「バーンスタインと激しい恋に落ち、その夢の実現に尽力した人物」、橋本邦彦さん。

『親愛なるレニー』は、バーンスタインと彼らの「手紙」のやりとりに目を向けることで、そこに確かに見てとれるふたつの「愛」を描き出します。そして、その「愛」が育くまれてきた場所、日本やアメリカをはじめとするレニーたちの立ってきた「ステージ」の文化的変動を追い、明らかにする作品です。
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今回は、この本の著者であるハワイ大学教授の吉原真里さんに、なんとインタビューの機会をいただくことに!

前編に引き続き、後編でも、この本がどういう経緯で書かれたのか、吉原真里さんがどのような気持ちでその執筆に当たったのかなどを、取材をもとに紹介していきます。

前編:「彼は"愛"を具現化した存在」 偉大な音楽家、バイセクシャル、情熱に生きた人…『親愛なるレニー』を読み解く

執筆者として、そして研究者として

『親愛なるレニー』は、天野和子さんとバーンスタイン、橋本邦彦さんとバーンスタインというふたつの交錯する愛の流れを、様々な文化的背景に関する解説を交えながら、彼らの手紙をもとに描き出す作品です。その執筆にあたって、著者の吉原真里さんには配慮していたことが3つあったと言います。

1つめは、単なる恋愛エピソードとして消費されることのないよう、関係者に最大限の敬意を払って分析に取り組むこと。あまりに情熱的な手紙たちであったからこそ、そのパッションのみに終始せず、天野さんと橋本さんのピュアで見返りを求めない「愛」の姿を掘り出すことに、吉原真里さんはかなりの注意を払ったそうです。2つめのポイントも、この敬意と地続きになっていました。吉原真里さんはこう語っています。

どういう経緯であれ私がたまたま出会ってしまったからには、リスペクトを表すためにも、私だからこそ書けるような本としてかたちにしたいと思いました。ラブストーリーの語りに終始するのも、悪くなかったのかもしれない。でも、私は日米の文化比較や、アメリカの文化産業、人種•ジェンダー•セクシュアリティといった分野に研究者として携わってきた。だから、そういう人間として分析し、執筆するべきだと思いました

運命的なエンカウントを経験した立場として、おのれの持てるものを注ぎ込み、自分らしいやり方でそこに連なる人たちに報いたい —— 吉原真里さんの文筆家としてのポリシーというか、ひとつの矜持のようなものを感じ、インタビューをしている最中ながら、あたしにはその言葉にグッとくるものがありました。

ただ、吉原真里さんの思考は、そこのみにとどまっていません。彼女の配慮、その3点目は、人間の実際の「生」をまっすぐ見つめることに紐づいていました。

ふたりとバーンスタインの関係性や愛のあり方を、あんまり短絡的に語りたくはなかったんです。社会構造のような大きな文脈に還元してしまうのは危険だと思っていました。もちろん
私も研究者なので、例えばその時代に日本やでこんなことがあったという知識はありますし、この事象と結びつけてこう掘り下げられるんじゃないかっていう当たりはつけられます。けれど、天野さんと橋本さんはどちらもご存命で、今も人生を歩んでらっしゃる。その人たちの人生を簡単に説明してしまったり、決めつけてしまうのは失礼で、驕りのようなものだと思うんです。バランスの取り方にはすごく悩みました

ひとは社会の中で生きています。ですが、世の中の情勢や社会通念、その構造といったものに完全に行動を左右されるものではなく、それぞれの意思をもって各人が動いているのです。「世界の操り人形ではない」というこの現実。それを正しく認識しながら、天野さんと橋本さんの人生をあくまで尊重しつつ語ろうとする吉原真里さんの姿勢には、ひとりの物書きとして大いに学ぶところがありました。

この吉原真里さんのスタンスは、バーンスタインという巨匠と向き合うにあたっても一貫しています。彼の音楽性について、バーンスタインがバイセクシャルであったことと関連づけてどう思うか、あたしが質問した時のことです。吉原真里さんはこんな言葉で、あたしをたしなめてくださいました。

人のアイデンティティは『AだからB』って単純に語れるようなものではありません。例えばとあるピアニストがゲイだったとして、「自分は男性同性愛者だから、楽譜のここの音はこう弾く」とはならないですよね。性的マイノリティであることは、当事者にとって自分を構成する大切な一部となりうるものですが、それはあくまで一部。様々な属性が全部合わさることで、はじめてひとりの人間になると思うんですよ。だからバーンスタインにしても、セクシャリティという特定のアイデンティティのみから、彼について語ることはできないと考えています。その点は、今回の執筆でも意識しました

出会った相手と正面から向き合い、いのちの複雑さに思いを馳せながら、そのありのままを書くこと。この取材を進めながらあたしは、吉原真里さんの一言一言から、そんなライターとして大切にすべき芯の部分について今一度考えさせられ、「これからに生かしていきたい」と強く感じていたのでした。

『親愛なるレニー』という実りから

(画像はイメージです)

今回のインタビューのなかで吉原真里さんは、執筆以前バーンスタインとの距離がそこまで近くなかったという事実を、率直に語ってくれました。その距離感は、執筆にあたってプラスに働いたそう。

これは本が出てから気づいたんですが、自分がバーンスタインのファンだったら、この本は書けなかったんじゃないかって思うんです。以前から彼の音楽は聞いていましたし、どれだけ重要な人物なのかは大体知っていましたが、とりわけ熱心に聞いていたというわけではなかったんですよ。もしもともと強い思い入れがあったりしたら、客観的な分析とか抽出はできなかったんじゃないかと思いますね。もちろん執筆にあたっては、指揮しているものであれ作曲しているものであれ、バーンスタインの作品はたくさん聞いたので、その音楽性の魅力は改めて深く実感しました

吉原真里さんと、満島てる子が登壇!

7月17日(月)公開講座「レナード・バーンスタインの 生きた世界と残したレガシー」

これは2人で盛り上がったトピックのひとつだったのですが、バーンスタイン自身はもちろんのこと、天野さんや橋本さんの手紙にしても、そのひとつひとつがとてつもない「引力」を持っています。その引力と上手に付き合いながら、地球の周りを漂う月のようなポジションから事態を眺めるというのは、書き手が冷静でないとできないことでしょう。

実際この『親愛なるレニー』という本は、吉原真里さんがすずやかな視点でもってこの物語と付き合うことができたからこそ、結実した作品だったのではないかとあたし自身は思っています。

とはいえその実り自体が、今や豊かな引力を発揮しています。吉原真里さんは、出版して以降の反響の大きさについて、笑顔で次のように語ってくれました。

それこそ、天野さんや橋本さんがバーンスタインに送ったように、手書きのお手紙をわざわざ私に送ってくださる方もいるんです。イベントにもいろんな人が様々な感想を伝えにきてくれて……バーンスタインを自身の大切な一部として生きてらっしゃる方が、本当にたくさんいる。そんな読者の皆さんからの反応を見たり聞いたりしてとても感慨深かったのは、多くの方が自身をこの本の中に見出しているということでしたね。どこかご自分に引きつけて、レレバンスを感じて読んでくださっているという事実が嬉しかったです

あたし自身、『親愛なるレニー』を流れるふたつの愛の流れが、まるで自分の人生の“アナザーストーリー”のように感じられ、そのひとつひとつのエピソードに心を打たれた者のひとり。きっとこの作品に同じような感動を覚えた人は、少なくなかったのではないかと思っています。そして、この本を読んだ多くの人が、吉原真里さんが序章で書いているように、バーンスタインたちとの出会いのなかで、様々なトピックに思考を走らせるに違いないのです。

こうして織りなされる社会と人間のタペストリーのなかで、天野と橋本、そしてバーンスタインは、ときにやさしく、ときに力強く、ときには切なく、人間の根源的な問いを私たちに投げかける。『芸術とは何か?』『人生とは何か?』『愛とは何か?』と。」(p. 7)

『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』。大切なひとと会い、言葉を交わし、身を寄せ合うこと……それがいかにあたたかく、いかにもろく、そしていかに大きな意味を持つことなのか。この作品の中には、そうしたクエスチョンに対する示唆も含め、ひととひとが出会うこと、その全てが詰まっていると、あたしは思っています。

吉原真里さん、ライター・満島てる子(ZOOM取材のようす)

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取材協力:吉原真里(よしはら・まり)
1968年ニューヨーク生まれ。東京大学教養学部卒、米国ブラウン大学博士号取得。ハワイ大学アメリカ研究学部教授。専門はアメリカ文化史、アメリカ=アジア関係史、ジェンダー研究など。著書に『アメリカの大学院で成功する方法』『ドット・コム・ラヴァーズ──ネットで出会うアメリカの女と男』(以上中公新書)、『性愛英語の基礎知識』(新潮新書)、『ヴァン・クライバーン国際ピアノ・ コンクール──市民が育む芸術イヴェント』『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』(以上アルテスパブリッシング)、共編著に『現代アメリカのキーワード』(中公新書)、共著に『私たちが声を上げるとき──アメリカを変えた10の問い』(共著、集英社新書)、そのほか英文著書多数。

文・取材:満島てる子
オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。LGBTパレードを主催する「さっぽろレインボープライド」の実行委員を兼任。2021年7月よりWEBマガジン「Sitakke」にて読者参加型のお悩み相談コラム「てる子のお悩み相談ルーム」を連載中。

Edit:ナべ子(Sitakke編集部)

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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