2023.02.28

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【お悩み】相手のことは好きだけど、恋愛として見られるのは嫌で、悩んでいます。

は〜い皆さん、ご機嫌よう!「お悩み相談コラム」担当・満島てる子です。

パンパカパーン!!!
あたしが関わってから、今年でなんと6年目。
札幌で行われているLGBTQプライドパレード「さっぽろレインボープライド」 なのですが、2月に入ってからいよいよ本格的に動き始めました!!!

今年は9月16〜17日(土日)での開催を予定。協賛企業さま•団体さまも絶賛大募集中(詳しくはHPにて)
他の実行委員たちとも「あれやんなきゃね」「これどう思う?」なんてコミュニケーションを取りながら、いろんな準備を進めています。

性的マイノリティやその支援者たちが街を練り歩き、自分たちの存在や直面している問題を、社会に「どうよ」と率直に投げかける場、パレード。
ニューヨークで生まれたこのデモンストレーション活動ですが、そこに集う当事者たちについては、名称として「性的マイノリティ」「LGBTQ」として語られることがありながらも、その“仮のくくり”に縛られない多様なアイデンティティを持っています(とはいえ、どこかに“集まる”ためには、そういう一時的な“くくり”が必要だったりもするんだけれどね)。

アメリカ版のFacebookで58種類のセクシャリティがプロフィールとして登録可能になっているのは有名な話ですが、他の日常的な場面でも、性に関する語り方や自己認識のあり方は、どんどん数の上でも多様になってきていますよね。
素晴らしいことだなと思う反面、もしかしたらその“多様さ”がもたらす新しいタイプの課題というのも、少なからずあるのかもしれないなぁと、そう考える昨今です。

今回いただいたお手紙は、まさにその良い例だと思うのよね。
ご紹介しましょう。

読者からのお悩み:

とっても素直な気持ちで書いてくれていることが、よくよく伝わってくる文面だわぁ。
森の三毛猫さん、この相談ルームに投稿してくれて、本当にありがとうございます!

文中に登場している「アセクシャル」(性愛の感情を他者に抱かない人)、「パンセクシャル」(どんなセクシャリティの相手も性愛の対象になりうる人)。

ここ数年で語としてもよく見かけるようになりましたし、その当事者の可視化も少しずつ進んでいるなと肌で感じてはいるのですが、「ゲイ」「レズビアン」といったカテゴリーに比べれば、性的なアイデンティティを示す用語としては、比較的ニューカマーのくくりに入る方だと言えるでしょう。

近年のLGBTQに関するアクティビズムの中では「愛は愛!」「誰かを好きになる気持ちは一緒!」といったスローガンが標榜されることもあったりしますが、本当は人間って存在と真摯に向き合ってみれば、愛がどんなところへ向かうのか、そもそも恋愛的に誰かに対して「好き」って感情を抱くのかどうかだって、再考の余地があったりするんですよね。
特にアセクシャルの可視化は、そのことをよくよく示すことにつながったと思います。

さて、森の三毛猫さんは、そうした語のはざまでゆらゆらしているのかな。
自分がどんな性のあり方をしているのか、自分で考えて自分で決めるのって、実はとっても難しいよね。
「好き」と言ってくれる相手が現れたりして、実際の振る舞いを迫られたりしているんだから、きっとなおさらのことでしょう。

あたし自身は「男の人のことが好きなんだ」って確信が、もう幼稚園ぐらいからあったりしたから、その点ではゆらぎが少ない方だったんだけれど……(とはいえ、女の子のことを好きになったことも、思春期の頃にはあったんだけどね。憧れに近い気持ちだったんだと、今となっては思います)。
森の三毛猫さんの言う「ゲイかも」という感覚に似た状態というか、「ゲイだとは認めたくない。ゲイじゃない可能性だってあるかもしれない」ともがいていた時期は、大学生ぐらいまであったように思います。

今となってはだけれど、「ゲイ」って単語についてぐるぐる頭の中で考えていること•知っていることと、目の前の同性に惹かれているという事実が、うまく自分の中で噛み合わせられなかったんだろうなぁと思うんだよね(そしてその上、自分の中に植え付けられた「ゲイへの偏見」(専門用語を使えばホモフォビアとも言えるでしょう)も、きっと大きな影響を当時与えていました)。20代、不器用に生きてたなぁ。

自己紹介の際にゲイであることを、臆面なく他人に話せるようになった現在ですが、そんな昔の自分のことは今でもどこか忘れられずにいます

とはいえ、これは2023年よりも自分のことを名指す表現が少なかった時代の話です。
「アセクシャル」「パンセクシャル」だけでなく、もっとたくさんのセクシュアリティに関する用語たちがそばにあって、性的マイノリティに関する情報も調べようと思えば溢れるほど手に入れられる現代。
そこに生きる当事者の若者たちは、かつてのあたしよりもはるかに多くの“選択肢”を持っている反面、同時にはるかに多くの“迷い”にさらされているのでしょう。頭の中はぐるぐるどころではないに違いない。

どの言葉がおのれを名指すのに適切なのか、どのカテゴリーに自分が入るのか。
そんな問いから出現するであろう“多様さ”がもたらすラビリンスの中にいる人は、森の三毛猫さんと同様確実にこの世の中にいて、しかも少なくないはず。
そう思うと、性に関するダイバーシティが進みつつあるからこその苦悩というのにも、適切なサポートを行う必要があるんだよなぁと、LGBTQ当事者への支援に携わるひとりの活動家として、課題感を抱かずにはいられないのでした。

あたしなりのANSWER

とはいえこの問題、多分なんだけど、一朝一夕でどうにかなるわけがないのよね。
だってね、当事者の若者が10人いたとしてよ、そこには本当に10人なりのセクシュアリティとの向き合い方というかスタンスがあるだろうし、しかもそれぞれのアイデンティティがさらにその上に重なってくるわけじゃない?
事柄としてとっても複雑になってくると思うのよ。

だから今はまず、紙面上ではあるけれど、森の三毛猫さんと対話するっていうことを大事にさせてもらおうかな。それを通じて、他の人にとっても示唆のあることが書けていたなら嬉しいです。

さてさて、森の三毛猫さん。
「性的指向や性自認は決めたほうがいいんでしょうか?」とも尋ねてくれていたよね。
そんなあなたに、その回答がてら、ちょっとしたアドバイスをさせてもらいたいと思います。

あのね。
どんなセクシャリティの人を好きになるのか、自分のセクシャリティをどう捉えるか。
それってさ、案外忘れられがちな気がするんだけれど、誰かとのアクチュアルな接触というか、他者との実際の関わりがあってこそ「あ、自分ってこうなんだ!」って理解できるようになる類の事柄だと思うのよ。

なんて言ったらいいのかしら、“周りの人に流されて決定されるもの”と言いたいわけではなくってね……性って、その人の生き方の大事な部分に関わる話だからこそ、なおさら“生きてみないとわからない”ものじゃないかなぁって。そう感じるんです。

「そりゃそうでしょう」って思ったかもしれないよね。
でもね、これって実はきちんと自覚できるようになるのは、かなり難しいの。
なぜなら人間って、誰しも割と頭でっかちになりがちだからなのよね。

「LGBTQ」「性的マイノリティ」「ゲイ」「レズビアン」「アセクシャル」「パンセクシャル」……こうしたセクシャリティを示す用語によって、あたしたち当事者はいろんなことを考え、自分自身を説明できるようになってきました。
でも、そこにはちょっとした落とし穴もあります。それはね、脳みそが“語にしばられる”ことがあるってやつ

あたしの場合は、自分のことを「ゲイ」だと名乗るようになってから、その単語の意味を理想化してしまって(「ゲイって普通、筋肉あって、髭で短髪で、眉毛太くしてて……」って勝手なイメージ付けちゃう感じね)、その理想と程遠い自分にコンプレックスを抱いたりしていました。
今はようやく「ゲイって単語が一番自分のあり方に近いから、100%そうと言えなくてもアイデンティティを示すときに使っておこう」と、「ゲイ」という言葉と適切な距離で付き合えるようになったけれど、昔は結構苦しかったんです。

これに似たようなことは、他の様々な語でもあるように思います。
「アセクシャル」や「パンセクシャル」もそうです。この二つに共通なのは、とある定まった性のあり方を意味しているということ。
こうした特定のセクシャリティを示す単語がどんどん増えてきたからこそ、「定まったあり方をしていないと変なんじゃないか」「まだ自分が知らないのがいけないんじゃないか」と考えてしまう人が出てきても、おかしくないんじゃないかしら(森の三毛猫さんの「こんなふらふらとした状態でいいのか心配」という書き様には、その片鱗が感じられました)。

だから、はっきり言ってしまって性的指向や性自認は「決めなくてもいい」とあたしは思うんだけれど……
その前にそれを 「決めて生きなきゃ」って強迫観念的なものが、自分の思考回路に潜んでやしないか分析してみること。これが森の三毛猫さんには第一に必要な気がするの。
そしてその上で、そうした強迫観念から自分を自由にし、様々なセクシャリティ用語からもあえてちょっと離れてみながら「現実を思い切って生ききってみる」ことで、もっと広い視野が持てるようになるんじゃないかなと思うのよね。

例えば、相談文の中でも話題に上がっている「好きだと言ってくれる方」に、「あたしって恋愛とか性についてはこう考えてるんだけれど、どう思う?」と率直に聞き、互いに言葉を重ねてみるとか(もしカミングアウトが可能で、森の三毛猫さんがそうしても大丈夫ならですが)。
もし気が向いたなら、たとえ「友達に近い感覚」であったとしても、その人とお付き合いというかたちをとってみてもいいかもしれない。
違うなぁって思ったら、すぐ別れればいいのだし。
もちろん、違う人と全然別の関係性を模索するのもいいかもしれません。

つまり、実際のつながりの中でみずからを動かし、自分自身についてもっと知ろうとすること。それが森の三毛猫さんにとって今、最も大事な気がするのよ。
それがあってようやく、その後ではじめて「あ、あたしってアセクシャルなのね」「パンセクシャルだったんだ」と、適切なカテゴリーに気付き、それを名乗れるようになるはずだから (もし見つからなかったとしても大丈夫。だってそれはただのラベルなんですから)

言葉が豊かになった今だからこそ、そこに踊らされず自分に目を向ける。
それが多様性のラビリンスから抜け出すための鍵になってくれるでしょう。
焦らず、着実に地に足をつけて進むこと。これが何よりだと思うのよね。

だから、森の三毛猫さん。まずは全力で現実を生きてみて!
その上で、それでもやっぱりまたセクシャリティ関係で悩んだときは、いつでも連絡をください。パレードをはじめとする取り組みに関わる人間として、できることはいつでもするから。

ひとりの当事者としても、アクティビストとしても、あなたが自分自身とまっすぐな出会いをし、虹のもとで笑っていてくれることを心から祈っています。

ま・と・め♡

というわけで、今回は性に関するお悩みを取り上げさせていただきました!

以前にも「LGBTQ」という言葉の持つ魔力について書かせてもらったけれど、性に関する言語表現って本当に日々豊かになっていて、時に洪水状態になっていることもあるのよね。
難しい話ですが、それとうまく付き合っていくことが、今コミュニティの中でも求められているのかもしれません。

今年の秋の「さっぽろレインボープライド」は、たとえどんなカテゴリーを標榜する人であっても、その場にいて共に笑顔になれるようなイベントにしたいなぁ。
そのために、今からあたしたち実行委員一同、頑張って準備していきますね!

そうそう、今年のパレードには公式キャッチコピーがあるの。「#雨上がりの札幌は美しい」。素敵でしょ?
ぜひこのハッシュタグ使って、みなさんには札幌のパレードの思い出や、待ち遠しいドキドキ感なんかを、画像とかつけてSNSに上げてもらえればと。投稿お待ちしていますねん。9月16日、17日(土日)は、みんな一緒に札幌歩こうね!
ではでは皆さん、Sitakkeね〜!

***
文:満島てる子
イラスト制作:VES
編集:ナベ子(Sitakke編集部)
***
満島てる子:オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。LGBTパレードを主催する「さっぽろレインボープライド」の実行委員を兼任。) 2021年7月よりWEBマガジン「Sitakke」にて読者参加型のお悩み相談コラム【てる子のお悩み相談ルーム】を連載中。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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