視聴者からの疑問や悩みを調査するHBC報道部の「もんすけ調査隊」。こんな疑問が寄せられました。
ドクター・コロッソさん(40代)
「地下鉄南北線の南平岸駅から真駒内駅は、なぜ地下鉄なのに地上を走行しているのでしょうか?」
地下鉄なのに、地上を走行!? さっそく、札幌市営地下鉄・南北線の南平岸駅に行ってみました。確かに、高架の上を走っています。
札幌市営地下鉄・南北線の始発「麻生駅」から「平岸駅」までは、地下鉄なので当然、駅や線路は地下にあります。
しかし、この「南平岸駅」から終点の「真駒内駅」までは高架式になっていて、駅と線路は、すっぽりシェルターに覆われているのです。
この様に4・3キロにも及ぶ巨大シェルターに覆われた地下鉄は、世界でも珍しいといいます。
なぜ麻生駅から平岸駅までは地下なのに、南平岸からは地上を走るのでしょうか?そもそも地下鉄は、どこから、どのように地上に出てくるのでしょうか??
その謎を解き明かすべく、平岸駅から歩いて、およそ10分・・。なんとも怪しげな、カマボコ型の建物を発見!
平岸駅と南平岸駅の中間付近で顔を出し、そこから、ずっと南へ続いています。
このカマボコのような建物こそ、地上に出た地下鉄を、雨や雪から守るシェルターなのです。
では、シェルターの中は、どうなっているのでしょう?
以前、HBCに特別に撮影が許可された映像を見てみましょう。
平岸駅を出発した列車は、しばらくトンネルの中を進みます。
そして徐々に明るくなっていき・・・
一気に地上へ!
その先は明るい光が降り注ぐ、まばゆい世界が広がっていました。
そして二度と地下に戻ることなく、列車は、終点の真駒内まで地上を走り続けます。一体、どうしてこの区間だけ、地上を走るのでしょうか?
北海道の地理歴史に詳しい、街歩き研究家の和田哲(わだ・さとる)さんが教えてくれました。
この区間だけ地上を走るその理由、和田さんによると、それはずばり「工期短縮」でした。
和田さん「札幌でオリンピックをやることになったので、地下鉄を急いで作らなければならないという事になった。土地の買収にも時間がかかるし、工事にも当然時間がかかりますよね。できるだけそれを短縮したいというミッションがあった」
1972年の冬のオリンピック開催を控えた札幌。
マイカーブームで、市内の渋滞は日に日に深刻化していて、オリンピックまでに主な施設がある真駒内まで、地下鉄を通すことは必須でした。
そこで取られたのが、驚きの策。
和田さん「定山渓鉄道が廃止された線路跡を買い取って、しかも地上を通せば工期も短縮出来るということで、南平岸駅から真駒内駅のあそこだけ地上区間になった。もちろん予算が安く済むっていう利点もある」
そう、すでに廃止になっていた鉄道の線路跡を買い取り、そこに地下鉄を通すことで、工期短縮を図ったのです。
その鉄道とは、1969年に廃止された定山渓鉄道。
東札幌と、温泉で有名な定山渓を結んでいました。
当時の地図を見ると、定山渓鉄道と、地下鉄南北線の南平岸駅から真駒内駅の区間はピッタリと重なります。
そしてオリンピックを1か月半後に控えた1971年12月16日、地下鉄南北線は無事に開業しました。
なお、和田さんによると、地下鉄を覆うあのシェルターは最初から計画にあったわけではなく、最初は除雪車の実験車も作られたそう。
しかし、なかなかうまくいかず、「全部シェルターで覆ったら全て解決するんじゃないかという、後から出たアイデアだった」とのことです。
札幌が記録的な大雪に見舞われた今年2月。 JRは数日間にわたって列車が運休となりましたが、札幌市営地下鉄はシェルターの効果で運休はありませんでした。
というわけで、調査結果です。
「札幌市営地下鉄南北線は、札幌オリンピックに間に合わせるために、地上を走ることになった」・・・でした。五輪成功に向けた関係者の情熱、そして北国の知恵が詰まった、全国でもここだけの地下鉄でした。
※掲載の内容は番組放送時(2022年6月2日)の情報に基づきます。