2022.06.25
深める「こころが男性どうし」のふうふが、子どもを授かる…。連載「忘れないよ、ありがとう」では、ちかさんときみちゃん、そしてきみちゃんのおなかに宿った羅希ちゃんの姿を通して、性別によって変わらない、人の心について考えてきました。
「僕たちの生き方を伝えることで、ひとりでも多くの人が生きやすい環境をつくることにつながっていけばいい」
そう話す2人の姿は、社会で「LGBT」という言葉は広まっていても、それぞれの人としての理解はまだまだ進んでいなかったんだ、という現実に、気づかせてくれたように思います。そして、「LGBT」というひとつの言葉でくくっていいのかな、 という疑問も湧いてきました。
「LGBT」「LGBTQ」「LGBTs」「性的少数者」…ニュースで使われる色々な言葉の中から、みなさんも聞きなじみのある言葉を無意識に使うことがあるのではないでしょうか。しかしその言葉の中には、当事者を傷つけたり、理解から遠ざかったりするものがあります。
きょうは連載の番外編として、ちかさんときみちゃんの出会いの場であるバー「7丁目のパウダールーム」の店長・満島てる子さんが、当事者の本音に迫ります。
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皆さんこんにちは、満島てる子です。いつもSitakkeでは、お悩み相談コーナーを担当しています。普段は「7丁目のパウダールーム」というバーで働きながら、さっぽろレインボープライド実行委員会という、札幌市でLGBTQパレードを開催している団体の副実行委員長も務めています。
今回は連載「忘れないよ、ありがとう」の記事のひとつとして、セクシュアルマイノリティのいち当事者という視点から、「LGBT」「SOGI」といった言葉やその使われ方に関して、思うことを記していこうと思います。
またこの執筆にあたり、「メディアや社会でどんな言葉が使われるべきか、言葉とともにどんな理解が広がってほしいか」といった話題について、ちかときみからに加えて、これまで報道陣からの取材を受けたことがある当事者の方々からも、考えを聞く機会をいただきました。
以下では、そのヒアリングの内容を中心的に紹介しながら、今後どんな発信が社会になされるべきなのかを考えていくつもりです。
結婚から妊娠に至るまでに密着し、普段の生活についても意欲的に取り上げた、ちかときみに関する一連のドキュメンタリー。
この報道は非常に大きな反響を呼んだと、たずさわった者のひとりとしてもそう思っているのですが、ふたりがこのように、セクシュアリティや互いの関係性も明かしたうえでメディアに出るというのは、実は初めてのことでした。
ちかときみの間でも、自分の性のあり方に関する考え、特にカミングアウトに関するスタンスには、今回の取材を受けるまで明確な差がありました。
ちかは以前から比較的オープン。これに対してきみは、自分がトランスジェンダーであることを明かさない姿勢を、周囲に対して貫いていました。職場でもクローゼット(※1)でいることを決意していたんだとか。なので取材が始まった当初は、正直迷いがあったそうです。
ですが、回を重ねて取り上げられる中で、当事者の友達や親戚をはじめとして、周囲から「テレビ見たよ!」「おめでとう!」というポジティブな反響をもらう機会が増加。
それによって「今後は自分を隠すのではなく、セクシュアリティをオープンにした上で、どんどん自分たちのことを発信していこう」と思うようになったと、きみは言います。
パートナーのちかにとっても、そんなきみの姿勢の変化から、きみとその家族の仲、友人との仲が深まっていくのを見ることができたのは、嬉しい収穫だったようです。
とはいえその反面、この取材によって苦しい思いをしたり、マイナスのリアクションにさらされる機会も大いにあったんだとか。
「妊娠するなんて男じゃない」「当事者として同じだと思われたくない」……コミュニティ内外、どこからかを問わず向けられるヘイト的な書き込みに胸を痛めながら、ちかときみはその渦中で「どうしてこんな辛辣なコメントが生まれてしまうのか」という問題について、よく考えたといいます。
そのひとつの答えとして出てきたのは、ある共通の見解。
それは 「自分たちがどんな当事者なのか、もっとはっきりした紹介が必要なんじゃないか」 というものでした。
これはちかときみが、一連の取材にあたり、それぞれのセクシュアリティをひと目で理解してもらうためにと、記入しカメラの前にも出したフリップを画像にしたものです。誰かの“性”を説明する時に必要な、以下の4つの要素について、ぱっと見で説明することができるようになっています。
・「からだの性(生物学的性)」
外性器や性染色体といった生物学的特徴から、お医者さんによって最初にあてがわれた性。
・「こころの性(性自認)」
「自分は男性だ」「自分は女性だ」「どちらでもない」など、性という側面で自分がどのような人間だと確信しているのか。ひとりの人格として、自分の性をどう把握しているか。
・「好きになる相手の性(性指向)」
「男性が好き」「女性が好き」「どんな性かは問わない」など、恋愛および性愛の対象が、 どのようなセクシュアリティに向かうのか。
・「性表現」
「ドレスが着たい」「化粧はしたくない」など、どんな装いや振る舞いを、社会の中で性の側面から行いたいか。
(※近年「からだ」「こころ」という区分は適切ではないのでは、という指摘もあります。)
記入の仕方は帯グラフ的に使うもよし、分布を点で示すもよし、使う人の自由。最近当事者の間では、より詳細な項目を追加したりしたものも含め、海外では「The Genderbread Person」、日本では「自己紹介カード」という名前で広まりつつあるようです。
ちかときみは、このフリップを見てもらうことで、一種 “ステレオタイプ”な当事者とは自分たちが違うということを明らかにしたかったと言います。
確かに、トランス男性とシス男性(※2)の「ゲイカップル」というのは、当事者のコミュニティの内部でも、認知が行き届いていない存在かもしれません。その「認知のなさ・可視化されていないこと」は、ちかときみの「ふうふ」にとって大きな逆風ともなりながら、彼らに「報道のなかで、自分たちを守るためになにが必要なのか」を考えるきっかけをもたらしたようでした。ふたりはこんなことをあたしに語ってくれています。
きみ
「メディアでは『女の子が好きで自分がトランスジェンダー(FtM)だと気づいた』という発言に注目が集まりがちだし、特に取り上げられたりしています。それはいいんだけれど、トランスが必ず異性愛者かというとそうじゃないし、性自認と性指向は別物だってことはそこで伝えられていません。
自分はトランスジェンダーだし、自認は男性で、かつバイ寄りのパンセクシュアルなんだけれど(だからこそ、ちかと「ゲイ」と言って差し支えないパートナー関係になったわけなんですが)、僕と同じような当事者のあり方にスポットを当てた報道って見たことがないんです。だからこそ、今回のVTRを見て混乱してコメントを投げてくる人もいたんだと思うし、そういう混乱を少なくするためにも、僕の性のあり方や、性自認、性指向という考え方は、きちんとかつ明確に伝えられるべきだと思っていました」
ちか
「これが例えばラジオといった媒体だとむずかしいかもしれませんが、今回はテレビがメインだったので、性に関する細かい部分まで視覚的に一瞬で説明できるフリップは、こうしたメディアでは効果的だし必要なんじゃないかと思います。今回取材を受けるまで、自分の性について自己紹介するとしても、シンプルに「男性が好きだ」という、それだけの表現を使っていました。ですが、いい意味でも悪い意味でも反響を受ける中で、パートナーに向けられた「トランス男性は女性が好きなはずだ」という偏見を目にしたとき、「〇〇が好き」という表現だけ、LGBTという言葉だけでは伝わらない部分があるんだということを実感しました。まとめてしまうこと、枠組みに入れて考えてしまうことから出てくる面倒くささに気づいたんです」
彼らのコメントにもにじみ出ていますが、近年「LGBT」「性的マイノリティ」といった言葉を目にする機会が増えてくる中、その語が一種のパッケージのように働くことでもたらされる弊害もあるのではないかと、あたし自身感じています。
例えば性のあり方に関して、それぞれのセクシュアリティの持つ細やかな差異を覆い隠してしまうことで、そこに 「え?LGBTってこうなんじゃないの?」という新しい偏見が入り込む余地を許してしまったり。 「じゃあ実際どんな人間なのか」「どのような性を生きているのか」という、当事者のリアルに目を向ける機会をなくしてしまったり。
こういった問題は当事者間でも起きているように思いますし、読者のみなさんの中にも、日常を送っている中でそうした事例を目にしたことがあるかもしれません。
ましてや、この “LGBTパッケージ”の魔力がメディアに対して働くとなると、事は重大です。
報道というのは必然的にたくさんの人が目にするため、影響を受ける範囲はとても大きくなります。
どうしても紙面の幅やVTRの尺、わかりやすさのためにといった、取り上げる際の工夫や制限もあるでしょう。ですが、例えば「性的マイノリティ」の語を、その実情を捨象しあまりにシンプルに使ってしまったことで、報道側は可視化をうながそうという目的だったにも関わらず、それによって当事者が苦しむことになる事態も起こるかもしれません。「理解を広げようとして無理解が広がってしまった」という悲劇は自然と想定できるものであり、実は大変身近にあるリスクのひとつなのです。
ちかときみの事例、そして、ふたりが自分たちの経験について語ってくれた内容は、そうしたリスクの存在を改めて教えてくれるものでした。
当事者がメディアと接触するときに直面する問題は、今取り上げた“LGBTパッケージ”のみにとどまるものではありません。ほかの当事者たちから出てきた本音は、後編の記事でお伝えします。
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連載:忘れないよ、ありがとう
※1:クローゼット
…………性自認や性的指向を公表していない状態を、衣類をしまっておく「クローゼット」、すなわち押入れの中にいる様子にたとえた表現で、LGBTアクティビズムの歴史では比較的初期から使われています(イヴ・セジウィック(1990)『クローゼットの認識論』を参照)。最近メジャーなのは「着たい服を外に持ち出せないかのように、本来そうありたいセクシュアリティを隠している状態」という、当事者本人のスタンスを表す使用法です。ですがかつては、「クローゼットの中に入る(into the closet)」という表現で、周囲の目を気にせず振る舞えるLGBTコミュニティに加わる、という意味も持っていました。
※2:シスジェンダー
……生まれたときに割り当てられた性別と、自身の性自認(自分の性をどう認識しているか)が一致している人のこと。例えばあたしについて言うと、生まれたときに「男性」と言われ、現在自分のことは「男性」だと考えています(そして、好きになるのは「男性」です)。なので自己紹介をするなら、シスジェンダーでゲイ(男性同性愛)の当事者ということになります。
文:満島てる子
オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。LGBTパレードを主催する「さっぽろレインボープライド」の実行委員を兼任。2021年7月よりWEBマガジン「Sitakke」にて読者参加型のお悩み相談コラム【てる子のお悩み相談ルーム】を連載中。
編集:Sitakke編集部IKU