「死滅回遊、セリフ多すぎで、ルールがさっぱり分からない」「悠仁は結局、誰の子ども?」「ミゲルって、いつから味方になったの?」
父親(筆者)に質問攻めを浴びせる小学5年生の長女。「劇場版 呪術廻戦0」公開をきっかけに遅まきながらハマり始めた。
「本命は『鬼滅の刃』なんだけどね」と言い切り、コミックス全巻を何度も読みこんだ挙句、遊郭編のアニメ終了に合わせて 「呪術廻戦」に“一時避難中” とのこと。筋金入りのコアファンの皆さんに大変申し訳ない浮気者だ。
長女は根っからの怖がりなので、アニメも漫画も過激な戦闘シーンはほとんどスキップ。あくまで登場人物たちのコミカルなやり取りをメインディッシュとしている。(「無限列車編」を映画館で見た時も、煉獄さんと猗窩座の戦闘シーン、ほとんど目をつぶっていたな。)
たしかに、両作品とも身体のあちらこちらを切ったり切られたり、血が飛び散ったりと、子どもには結構きついように感じる。筆者が小学生の頃に読んでいた「ドラゴンボール」や「北斗の拳」でも、それなりの描写はあったかもしれないが、ここまでは無かったような。とはいえ「子どもの教育によろしくない」といった批判はあまり聞かないので「世の中的にはOK」という空気感なのだろうか。深く考えるのをやめる。
長女のお気に入りのキャラクターは「シン・陰流」の三輪霞。理由は「かわいいから」。
京都姉妹校交流会の団体戦で戦い終えた自分を「役立たず三輪です」とあっさり言い切れる素直さ、長女的にはポイントが高いらしい。五条先生の隠れファン、メカ丸との心温まるやり取りなど、殺伐になりがちな物語の中で、その普通さが読者をホッとさせてくれる存在かもしれない、と評論家ぶって分析してみる
かくいう筆者は社会人になってから漫画とは無縁だった。長女にせがまれ、当時入手が困難だった「鬼滅の刃」のコミックス探しに奔走。何がそんなに面白いのか、まあ折角なのでと久しぶりに読んでみたところ…んー、思っていたより面白い。そして、思っていたより奥が深い。おまけに、漫画談議に花が咲き、お年頃に入りつつある長女とのコミュニケーションに大いに役立つことに気づいた。よしよし。
その流れを受けて「呪術廻戦」も読み始めたわけだが、なかなか味のあるキャラクターを見つけてしまった。パンダですよ、パンダ。 理由はズバリ「さりげない強さと優しさ」。自分の強さを決してひけらかさず、一歩下がってアシスト役に回ることが多い。もちろん、夏油相手でもやる時はやりますが。
また、自分の出生を含む物事全般を俯瞰的に捉えて「世の中なんてこんなもの」と達観していながら、そのくせ仲間たちを見守る目は愛情に満ちあふれている。メカ丸や学長にまつわるエピソードでも、決して相手に押し付けない感じがすばらしい。管理職世代のおじさんとしては、見習うべき点が実に多い。
そんな愛すべきキャラクターたちがいる「呪術廻戦」だが、「鬼滅の刃」よりも世界観がダークで、様々なエピソードが複雑に絡みあっている印象だ。状況説明のセリフが多く、戦闘シーンをカットしながら読み進む娘が「???」な状況がしばしば発生する。
ストーリー展開を理解させるため、まずは自分が通勤の行き帰りなどに単行本を熟読、帰宅後や休日、内容をかみ砕いてレクチャーするルーティンが自然と出来上がった。時折、長女から「TiktokやYouTubeでは、こんな解説をしていた。お父さんの説明と違うし、向こうの方が詳しくて面白い」と指摘され、単行本を何度も読み返すことがある(案外イヤではない)。
それにしても、何の前触れもなく突如として場面転換したり、2度3度と読み返さないと、よく分からないシーンに結構出くわす。作者の芥見さん、読者の頭を敢えて混乱させ、謎が謎を呼ぶ作りにすることで、飽きさせないようにしているのでは、と勘ぐってしまう。結局、吸い寄せられるように全巻購入しているので、作者の術中に見事にハマっているかもしれない。
先日、長女に改めて「呪術廻戦のどこが面白い?」と尋ねてみたところ、「お父さんが熱心に読んでいるから」と即答。いつの間にか立場が逆転していた。ちなみに、最近、パンダの次に注目しているのが、弁護士の日車寛見。不条理な現実を前に、無力感を抱きながら善と悪を行き来する迷える男に共感しきり。
あのジャッジマン、自分も欲しいかも。
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文:ゆゆパパ(Sitakke編集部)
イラスト:ゆゆ